【ノムさん追悼】幻に終わった本紙評論家就任

2020年02月12日 16時30分

2007年8月、本紙発行の「エンタメ劇場」を読んでニヤリ

 とにかく野球が大好きな人だった。「ワシから野球を引いたら、何も残らん。典型的な野球バカや」。よくそう言って卑下したが、実際は誰よりも本を読み博学。おしゃべり好きで、ちょっぴりエッチで寂しがり屋だった。

 1997年にヤクルト担当になり、東スポの諸先輩方と同じような洗礼を浴びた。「塁間以上近づくな!」。当初は口もきいてもらえず苦労したが、誤解(?)が解けると本当にかわいがってもらった。

 当時ノムさんはケータイを持っておらず、試合のない日やシーズンオフは東京都千代田区のホテルニューオータニに探しに行くのが日課だった。そこで捕まえると「またお前か」と言いながら、いろいろな話をしてくれた。それこそ野球の話だったら何時間でも。政治や時事ネタも話題にするが、もちろん下ネタも大好きだった。

 実は東スポの評論家になる話もあった。「お前が担当するならやってやってもええぞ」。ヤクルト監督勇退後、そのまま阪神の監督になり実現しなかったが、当時「NHKと東スポで評論するヤツなんておらんやろ」と笑っていた。

 楽天監督時代はデスクだったため密着はできなかったが、2か月に1回は仙台に行き、担当記者を交えてノムさんと3人で食事をした。焼き肉からクラブへのお決まりコースで、沙知代夫人へ電話をするのも記者の役目だった。「また、あんたが引っ張り回してるの?」と嫌みを言われながら。

 沙知代夫人が亡くなってからも定期的に食事をした。

 ホテルニューオータニで中華をごちそうになったときは、フカヒレの姿煮に始まり、つぶあん入りタピオカまでの「ノムさんスペシャル」。席に座るだけでいつも同じコースが出てきた。誰かに呼び出されない限り、夜はこの中華に加え、すしと和食のローテーションだった。

 昨年、改めて野球生活を振り返ってもらった。一番悔しかったことに挙げたのは南海時代の59年に巨人をスイープした日本シリーズ。「鶴岡のおっさん(監督)に日本シリーズで杉浦(忠)が4連投4連勝したとき『杉浦一人で勝った』と言われたこと」。逆に一番うれしかったのは「ヤクルトで優勝して相馬さん(球団社長)にぎゅーって握手されたこと」。自分の個人成績は二の次というのもノムさんらしかった。
(1997~98年、ヤクルト担当・大沢裕治)