カネやんイズムで佐々木朗も「走れ、走れ」

2020年01月14日 16時30分

自主トレの12分間走で苦しげな表情の佐々木朗

【赤坂英一 赤ペン!!】金田正一元監督が亡くなっても、ロッテといえばやっぱり「走れ走れ!」だな。新人合同自主トレで息を切らしていた佐々木朗を見て、久々に金田さんの声を思い出した。

 自主トレ初日、佐々木朗は12分間走で本拠地のグラウンドを9周、2925メートルを走破。最初はビリだったが徐々にペースを上げ、7人中3位でフィニッシュ。高校時代はこういう持久走自体、やっていなかったそうだ。

「疲れました。走るのは得意じゃないです。最後はボクがペースを上げたんじゃなくて、先を走っていたみんなのペースが徐々に落ちてきたから」

 首脳陣には事前に距離2800メートルがプロの基準と言われていたという。「とりあえずそれを超えられてよかった」とホッとした表情だった。が、佐々木朗が自ら公言した最大の目標は沢村賞だ。この賞に必要な完投数を増やすには、もっと走り込んでもっとスタミナをつけなければならない。

 そこで思い出されるのが400勝投手であり、ロッテを日本一に導いた金田監督。ちょうど30年前の1990年、私はロッテの鹿児島キャンプを取材し「走れ走れ!」を身をもって経験した。

 金田監督の掲げたモットーは「練習には終わるまで終わりなし!」。ご本人いわく「ワシが練習をやれと言ったらずっとやれ!」。この大号令の下、選手は毎日早朝から陸上競技場へランニングに駆り出されていた。

 そこへわれわれ記者も取材に行くと、金田監督が「おまえらも走れ!」。仕方なくゆっくり駆け足を始めたら「もっと速く速く! 若いんだから!」。そう言いながら後ろから私たちの背中を押すのである。記者も選手の後ろについて走らされていたのだ。これ実話ですよ。

 当時は報道陣もチームと同じ宿舎に泊まれたので、シャワーで一汗流すと大食堂で朝食。これが実に豪華で、毎朝小さなおひつを空にして、逆に太る記者もいたほど。

 そんなキャンプで鍛えられていた若手は、3年目の伊良部秀輝や2年目の前田幸長(現本紙評論家)。前田が「左肩が痛いんです」と金田監督に訴えると「走りゃあ大丈夫だ!」のひと言で片付けられたという。新人の小宮山悟(現早大監督)は「走るのは嫌い。必要だからやってるだけ」とクールに語っていた。

 この3人がその後どれだけ活躍したかはご存じの通り。だから、佐々木朗ももっと走れ、走れ!

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。