広島ドラ1・森下がいきなり背負う「18」苦闘の歴史

2019年12月18日 11時00分

背番号18番を披露する森下

【赤坂英一 赤ペン!!】広島のドラ1ルーキー・森下暢仁(22=明大)が背番号18を背負うことになった。このエースナンバーの先輩・佐々岡監督は、一本釣りに成功した直後に「ボクとしては18をつけてほしい」と公言。森下本人も「本当に重みのある番号だと思う」と感激の面持ちだった。

 広島で18を背負ってエースになった投手は長谷川良平(故人)、佐々岡監督、前田健太の3人。長谷川は32、前田は34からの変更で、入団時から18をつけたのは佐々岡監督だけである。西川克弘、白武佳久も1年目に18を与えられたが大成せず。1979、80年の連覇と日本一に貢献した福士明夫は、南海から移籍した投手だった。

 つまり、球団史上、1年目から18をつけ、優勝(91年)に貢献した生え抜きエースは佐々岡監督ひとりしかいないのだ。91年の日本シリーズは3勝4敗で西武に敗れ、佐々岡監督は「また来年頑張ればいいやと思ったけど、とうとう引退するまで日本一にはなれなかった」とこぼしている。

 佐々岡が2007年に現役を引退すると、球団は前田に18を受け継ぐように持ちかけた。当時、前田は「ボクには無理だと思った」そうである。「その年、ボクは一度も一軍で投げていません。18が何年か空いてたんならともかく、佐々岡さんが引退されてすぐでしょう。ボクなんかがつけていいのかと思った」

 それでも、18をつけた08年から頭角を現し、10年から6年連続で2桁勝利をマーク。個人タイトルも最多勝と最多奪三振を2度、最優秀防御率を3度獲得し、堂々たるエースに成長した。が、それだけ奮投しても優勝は一度もできず。ドジャースへ移籍する前、前田はこう述懐している。

「結局、カープで最後に残ったのは悔しさです。CSに進出するだけでは意味がない。やっぱり、優勝して、日本シリーズまで行かないと、本当には喜べないんですよ」

 球団草創期にさかのぼれば、最初のエース長谷川も197勝もしながら優勝の美酒は味わえなかった。ちなみに、長谷川さんは私がまだ駆け出しだったころ、お世話になったカープOBでもある。生前、苦労の多かった現役時代の思い出話をよく聞かせてもらった。

 数々の苦闘の歴史が刻まれたエースナンバー18を、来年から森下が背負う。彼には18の先輩たちがなし得なかった日本一まで上り詰めてほしい。

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