亀井の37歳大台突破で思い出す 巨人の渋チン査定と闘った原&村田真

2019年12月04日 11時00分

1992年オフ、1回目の契約更改交渉で保留した原

【赤ペン!!・赤坂英一】巨人・亀井の年俸1億円超えは久々にオールドファンをほっこりさせてくれた。37歳シーズンでの初の大台突破は、2000年の村田真(前ヘッドコーチ)以来の球団史上最年長記録。もっとも、村田真は亀井と違い、1999年オフの契約更改で随分と苦労している。

 村田真は現役生活20年で一度も規定打席に到達したことがなく、99年も出場試合数は91止まり。球団提示は300万円増の9800万円だった。が、1億円にこだわった村田真はこう主張した。「差額がそんだけ(200万円)やったら、ぼくがいまから銀行に行って自分の貯金からおろしてきますよ。それを足して1億にしてください!」

 結局、このけんまくに球団が折れ、1億円ちょうどで更改。捕手としても、規定打席に達していない選手としても、球団史上初の大台到達だった。

 栄えある巨人の1億円プレーヤー第1号は93年シーズン、35歳の原(現監督)。これは村田真以上に大変な難産の末の誕生だった。当時、渡辺恒雄・読売新聞社社長(現読売グループ本社主筆)が「巨人に1億の価値があるやつはおらん!」と公言していたからだ。

 原の年俸は91年までに9400万円に達していたが、渡辺社長の発言がネックとなって92年は9900万円止まり。原とトップを争った桑田が9840万円。金額はあくまで推定だが、当時の球団幹部は「どちらも大台は超えていない。原が桑田よりも上」と苦渋の表情で語っていた。こうなると、93年には球団としても原を1億円にせざるを得ない。そこで92年オフ、球団が900万円増の1億800万円を提示すると、若大将は憤然として保留した。

「私はこの12年間、大変な重圧の中で巨人の4番を打ってきました。その評価がこれですか。4番の打った本塁打が、6番や7番の本塁打と同じではおかしいでしょう」

 まだ球団事務所が神田のビルにあった時代、原は記者室で怒りに満ちた言葉を絞り出した。巨人は93年から長嶋監督を18年ぶりに復帰させることを決定。原にもっと働いてもらわないと困る事情もあり、1700万円上積みして1億2500万円としたのだった。

 昔の“シブチン査定”に比べると、ポンと4000万円上がった亀井は幸せだ。1億円到達後、原は3年、村田真は2年で引退したが、亀井には息長く頑張ってほしい。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。