寺原 沖縄初のプロ球団・琉球のコーチで第2の人生

2019年11月21日 11時00分

巨人戦で完投勝利を挙げた寺原(右)(2011年)

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】夏の甲子園で157・7キロ(米大リーグ・ブレーブススカウト計測、球場表示は154キロ)をマーク。高校生史上最速右腕として鳴り物入りでプロ入りした。そして今季、18年の現役生活にピリオド。前ヤクルト・寺原隼人投手(36)に連絡を入れると「今はゴルフに行ったり、たまにジムに行ったり、ゆっくりしてます」と穏やかな言葉が返ってきた。

 2001年、宮崎・日南学園のエースとして松坂、新垣を超え、当時の高校生最速記録を塗り替えた。4球団競合でダイエー入りし、地元の宮崎で行われたキャンプには寺原見たさに10万人以上のファンが押しかけた。まさに「寺原フィーバー」だった。

 当時の筆者は西武担当。松坂大輔とよく比較された寺原は気になる存在だった。なかなかご縁はなかったが、10年後に取材のチャンスが巡ってきた。2011年、岡田オリックスの担当となった折、横浜からオリックスにトレード移籍してきた。

 寺原はオリックス移籍1年目に12勝。5月23日の巨人戦(東京ドーム)が「一番、印象に残ってますよ」という。先発として澤村と投手戦を演じ、1―1の同点のまま9回へ。

 二死無走者で自ら打席に立ち四球をもぎ取ると、続く坂口の投手強襲安打で一、二塁。ここで途中出場の伏兵・山崎に3ランが飛び出した。その裏も続投の寺原は完投勝利を手にした。

「5回終わってベンチ裏に行ったら(守護神)岸田さんと(セットアッパー)平野がジャージー姿やったんです。そしたら岡田監督が『もう、こいつら(登板過多で)ずっと投げさしとるから休ますから。お前、一人で投げろ』って言われて。実際、9回も代打なしですもんね」。今となっては岡田マジックもいい思い出だ。

 引退後は野球関係はもちろんのこと、学生時代から大好きだった「裏原系」アパレルのプロデュースも視野に入れるなど、未来予想図を脳裏に巡らせていたが、19日に沖縄初のプロ野球球団・琉球ブルーオーシャンズのコーチに就任することが発表された。福岡、関西、関東を渡り歩いた経験を生かし、第2の人生でも剛腕を振るうつもりだ。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。