【球界を支える異色野球人】外資系証券会社のキャリアを捨て球場のキャッシュレス化に尽力――。そんな異色の人生を送る裏方さんがいる。現在、楽天野球団のマーケティング本部・本部長を務める江副翠さん(40)だ。

「大学時代から地域を盛り上げるような仕事に就きたい、スポーツに携わる仕事に就きたいという漠然とした思いはありました。でも、まさかこういう形で野球チームの一員として働くとは。楽天に入るまでは、サッカーが好きで、野球はたまに見る程度でしたからね」

 控えめに笑う才女は慶大卒業後の2002年に米証券会社ゴールドマン・サックス社に入社。同社では主に企業の資金調達やM&Aに携わるなど、金融業界の最前線で働いた実績を持つ。球界とはかけ離れた世界に身を置いていたが、09年に自ら楽天の門を叩いたという。

「外資系金融業界は野球界と同じような感じで、結果が出れば給料は上がるし、出なければ新入社員でも1年でクビになる厳しい競争社会です。20代はそういうギラギラした中でがむしゃらに働いたのですが、30歳になる直前に人生を見つめ直し『今のような人生で30代を過ごすべきなのか』と。そう考えた時、自分の好きなスポーツ、地域を盛り上げる仕事をやるべきではないかと考え、関係者を通じて自ら求職。採用していただきました」

 およそ7年に及ぶ金融業界での経験があったとはいえ、球界での実績は皆無。給与は一般大卒レベルからの再出発となったが、江副さんに迷いはなかった。営業部配属によるスポンサー営業で新たな一歩を踏み出すと、12年には事業企画部に異動。東北地方のファン拡大に精力を費すと、その後の事業部でもスタジアムの観客動員増に寄与するなど、着実に球界でのキャリアを積み上げた。

 18年4月、それまでのチーム内での活動が買われ経営企画室・室長に抜てきされると、同年夏に球団の総帥・三木谷浩史会長兼オーナーから新たな厳命が下る。それが球場の「完全キャッシュレス化」だった。

「当時の球場は全体決済の15%が非現金決済でした。そのため、それを段階的に進めていけばいい、と提案しました。でも、三木谷(会長)からは『最初(19年シーズン初め)から一気に完全キャッシュレスじゃないと意味がない』と言われまして(苦笑)。当初は開幕まで半年ほどしかなかったので、間に合うか不安でした。でも、キャッシュレス化は従業員の計算ミスなどをなくすだけでなく、お客様側にも支払い方法を簡略化できるメリットがある。そう考えたら確かに今やるべきだと。それからは短い期間ではありましたが、やり遂げようと気持ちを切り替えました」

 テナントへの理解や従業員、ファンへの周知。やるべきことは山積みだった。前代未聞の一大改革に、一部高齢者やビジターファンからの反発もあったが「最終的にはお客様の方に多大なメリットがある」と陣頭指揮を執りながら丁寧に対応した。その結果、他球団に先駆けて今シーズンからの本拠地球場における完全キャッシュレス化に成功。球場売り上げも飲食、グッズ共に対前年比15%前後のプラスを記録した

「この数字にはキャッシュレス化だけではなく、チームの成績(リーグ3位)も含まれているため一概に売り上げに貢献できたかはわかりません。でも、完全キャッシュレス化による買い控えが起こるのでは、という不安がある中で悪影響がなかったことは素直にうれしいです」

 14年に結婚。現在は2歳男児の母でもある。今年7月からは球団マーケティング部門の本部長という重責を担う。育児と仕事の両立は容易ではないものの、自らの歩みを止めるつもりはない。

「イーグルスを通じていろいろな挑戦ができますし、スポーツ界、野球界でも女性が輝いて働けることを見せたいので。球界で働く後輩女性にそう思ってもらえるような役割を果たしていきたいですね」

 球界内におけるキャリア女性の鑑(かがみ)となるべく、江副さんは今日もチームのために奔走する。