これほど「耐えて勝つ」が似合う監督はいない

2019年10月08日 16時30分

【赤坂英一・赤ペン!!】とにかく苦労の多い野球人生を送るよう運命づけられている人物らしい。広島の新監督に佐々岡投手コーチが就任し、つくづくそう思った。

 かつてのエースが二軍投手コーチとして広島に復帰したのは2015年だ。岡田、薮田、フランスアを育て上げて一軍に送り込み、翌16年から3連覇を達成。が、同じ3年間、二軍は投手が払底し、チーム防御率はウエスタン・リーグ4、5、5位。佐々岡コーチが一軍に昇格する前、一軍のチーム防御率はリーグトップだった16年の3・20から昨季の4・12に悪化していた。今季は3・68まで戻した手腕はもっと評価されてもいい。が、岡田、薮田は二軍暮らし、抑えのフランスアも再三炎上して逆転負けが増加。4年ぶりBクラス低迷の要因になってしまった。

 そうした窮状の最中、佐々岡コーチは先発投手に口を酸っぱくして完投を目指すように説いた。「リリーフ(投手陣)は毎日ベンチ入りしてブルペンで肩をつくらなきゃいけない。先発は中5~6日の登板間隔があるんだから、できるだけ長い回を投げてほしい。リリーフを休ませ、チームの勝利につなげるために」

 そう言う佐々岡コーチは現役時代、先発、抑え、中継ぎと何でもやり、18年間の通算成績は138勝153敗106セーブ5ホールド。広島一筋で100勝100セーブを記録した投手は大野豊と佐々岡のふたりだけだ。ただし、大野は優勝3回、日本一1回に貢献、Bクラスは5回だけ。佐々岡は優勝1回のみで、Bクラスは12回もある。そのころから「苦労の多い野球人生」だった。

「新人だった1991年に優勝、日本シリーズも3勝までいったときは、次は絶対日本一になるぞと思った。当時のカープも強かったから。でも、結局、“次”はなかった。野球の怖さです」

 淡々と語ったその言葉が、実に重く聞こえた。 佐々岡自身は300球を超える“投げ込み派”だったが、指導者としては現代の科学的調整法を実践。ただ、「先発するなら完投を目指せ」という哲学は変わってない。 広島を1975年に初優勝に導いた古葉監督の座右の銘「耐えて勝つ」がこれほど似合う監督もいないのではないか。カープは昔から投手力を中心とした粘りの野球が身上。佐々岡監督ならその伝統を復活させ、新たな常勝チームを作り上げてくれると信じている。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。