名人たちの痛快キャッチボール

2019年10月05日 11時00分

見事だった辻のキャッチボール

【越智正典 ネット裏】西武ライオンズがペナントレースでの優勝を決め、監督辻発彦がよろこびのナインに胴上げをされて宙に舞ったとき、私は辻の現役時代のキャッチボールを思い浮かべていた。

 辻のキャッチボールはそれは見事だった。いつも石毛宏典(市立銚子、駒沢大、プリンスホテル、1981年新人王、86年MVP)と組んでいたが、ふわふわ球を投げることはなかった。

 特に、この日が勝負!という試合の前や、天候が悪く、屋根のスキ間から雨が吹き込み始めた試合前にはラリーの間にゴロをころがし合っていた。ゴロはスリップしていく。万一に備えている。キャッチボールは緊迫そのものであった。といって、こんなキャッチボールをやっていた男だから勝ったのだ…というのではない。私のたのしい思い出である。

 パのペナントレース2位のソフトバンクも、3位の楽天も、当然、クライマックスシリーズのファーストステージで勝って、ファイナルステージで待ち受ける西武に攻め込みたいハズだが、ことしからソフトバンクの一軍投手コーチ専念になった倉野信次(宇治山田高、青山学院大投手、97年ドラフト4位でダイエーに入団、現役通算成績、登板164試合、19勝9敗1S)の、試合前の“ケンカボール”を見たのも大事な思い出である。

 倉野は宇治山田の出身である。宇治山田は大投手沢村栄治のふるさとである(京都商業へ進んだが)。少年野球のエースだった明倫小学校のときの(先輩に聞いた)話をすると、彼は気を付けをし、ぐっと胸を張った。そんな日の、至近距離から力づよく投げ、投げるとパッと猛球が返ってくる彼の“ケンカボール”を見るのはうれしかった。「いいぞオー」。私は心の中で声援を送っていた。話が少しそれるが、飛田穂洲の愛弟子、水戸一高、早大投手、監督石井連蔵は“ケンカボール”が大好きだった。

 終戦後、キャッチボールほどたのしいものはなかった。上手下手など考えてもみない。目の前に友だちがいる。もう戦争に行かないのだ。「ナイスボール!」などと、もう声をあげてもいいのだ。

 復活したプロ野球では東急フライヤーズの投手、白木義一郎(慶応商工、慶応大、46年最多勝=30勝22敗、47年最優秀防御率=1・74、50年74イニング連続無四球)の送球がファンに大受けに受けた。

 47年4月18日、後楽園球場での金星戦、0対0の2回一死。ピッチャーゴロを打った金星の6番打者がすぐに一塁に走ろうとしないでいると、白木は本塁に送球。こうされるとバッターは走らないわけにはいかない。捕手が一塁に送球、アウト! スタンドは沸いた。

 白木はそのあと4月22日の巨人戦、5月4日の阪急戦…47年だけでも18人(故宇佐美徹也調査)をこらしめた。走らないのはお客さんに悪いでしょと、不滅の、たのしい送球である。 =敬称略=