巨人・阿部慎之助捕手(40)が25日、今季限りでの引退を正式表明した。幕引きを決意した決め手となったのは22日に行った原辰徳監督(61)との直接会談と明かしたが、すでに球団、チーム首脳の間では引退→指導者→監督への“シナリオ”は描かれていたと言っていい。5年ぶりのリーグ優勝と本人の決断、そして首脳陣の“引退勧告”…。すべてが絶妙なタイミングでマッチし「阿部監督誕生」へ壮大なカウントダウンが始まった。 

 球団カラーのオレンジのネクタイを締めて会見場に登場した阿部は、ファンや球団関係者への感謝を述べ「ちょっと突然だったんで、皆さんをビックリさせて申し訳ないな」と引退に踏み切った経緯を説明した。

 まず、大きく心境が変化したのは21日のリーグ制覇で「優勝もしましたし、節目の400号も打てました。一番は坂本(勇人)キャプテンになって優勝できた。ある意味、僕も(肩の)荷が下りた。それで決断したところもあります」とした。

 主将が完全に独り立ちし、岡本ら若手も成長。自らの潮時を感じつつ、翌22日に神宮球場で行った原監督との話し合いが最終的な決め手となった。

「監督と話す機会がありまして、その時に思っていることがお互い一致した。監督の意向をお聞きして自分も同じことを思いましたし。すごく僕の将来のことだったり、いろんなことを僕が思っている以上に原監督が考えてくださっていたので。そこで納得した」

 慎重に言葉を選び、具体的な言及は避けたが、2人の間で“今季限り”の思惑が合致。監督側から引退後のビジョンを示されたことで、阿部は人生最大の決断を下した。

 原監督は今季、ヘッドコーチを“空位”にしたことについて「理想は、来年いい形で誰かヘッドコーチが入ってくれれば、というものはあります」との青写真を描いていた。ヘッドは指揮官自身も長嶋監督(当時)の下で監督修業したポジションでもある。球団にとっても後継者不足は大きな懸案。原監督自身も「やっぱり僕らがつなぐということは、とても大事なことだと思っている」と、近未来の巨人を率いる監督候補の育成を“使命”の一つと捉えてきた。今回の生え抜き功労者・阿部の引退により、大きくかじが切られたことは間違いない。

 さらに、長嶋終身名誉監督はこの日「これから大きな大きな仕事が待ち受けているということだ。後進を指導し、再びジャイアンツのために貢献するという責務が彼にはある」と重いコメントを発表したが、実はもう一人、背番号10の恩人・内田順三巡回打撃コーチ(72)も早くから阿部に引退を“勧告”していた。

 阿部が400本塁打をマークする6月1日以前の今春、愛弟子の今後についてこう打ち明けていた。

「十分。もうユニホーム、脱がなきゃ。将来、巨人を引っ張っていく男だよ。もう十分よ」

 当時はまだ通算399発でメモリアルに王手をかけている段階だったが、恩師の目には選手としての役割は果たしたと映っていた。チームの未来のため、阿部が現役を続けるよりも、早く指導者としての道に進むことを待ち望んでいた。

 会見で「今後、何らかの形でジャイアンツに恩返しできれば」とも話した阿部。ルーキーだった2001年、当時ヘッドの原監督が開幕スタメンを進言し、受諾したのが長嶋監督。その阿部を球界屈指の大打者に育て上げたのは内田コーチだった。阿部の英断は恩人たちの“総意”であり「阿部監督」の誕生に向けて時計の針が動きだした。