【赤坂英一 赤ペン‼】結局、今年の広島には丸の穴を埋められる3番がいなかったということか。一時はバティスタがハマったと思われたが、先月のドーピング検査で陽性反応が確定して登録抹消。先月17日から4番の鈴木が3番に回り、4番を松山が務めている。

「もういまから代わりの3番をつくっている時間はありませんから」と、東出打撃コーチは苦しい胸の内をこう明かした。
「すぐにバティスタほどの働きが期待できる選手はいない。誠也を3番に入れれば初回から打順が回るでしょう。相手バッテリーにプレッシャーをかけられるし、先制点のチャンスも広がる。現状では、これがベストかな」

 ここまで、バティスタ以外の3番は西川、野間、丸の人的補償で獲得した長野、それに飛躍が期待される3年目の坂倉が起用された。が、誰も定着するには至らず。

 田中広の1番から3番への配置転換という選択肢もあるにはあったが、これは田中広自身の極端な打撃不振で雲散霧消。広島にとっては、巨人に流出した丸の穴の大きさを改めて痛感させられたシーズンと言っていい。しかし、振り返れば丸にしても、広島で押しも押されもせぬ3番打者となったのは2年前の2017年から。やっと3番に定着した14年まではまだ勝負弱く、チャンスで見逃し三振することも珍しくなかったのだ。

 15年には新井宏昌打撃コーチ(現ソフトバンク)、16年には石井琢朗打撃コーチ(現ヤクルト)らの下で打撃改造に取り組み、17年になってようやく完成の域に達したのである。

 広島が誇る“史上最強の3番打者”といえば、前田智徳(1990~2013年)が思い浮かぶ。新人時代はいまの小園と同じ背番号51を背負い、31を経て、のちに鈴木に受け継がれた1へ昇格。背番号の出世パターンをつくった選手でもある。

 だが「孤高の天才」とうたわれた前田も、4番・江藤が巨人にFA移籍した00年は、代役4番を任されて四苦八苦。古傷のある両足のアキレス腱を悪化させて、79試合の出場に終わった。

 選手時代にその前田の薫陶を受けた東出コーチは「将来の3番候補」に小園を挙げる。野間は「まだまだ技術不足」で、楽天から移籍した三好は「2~3年もまれることが必要」だそうだ。勝っても負けても、丸や前田の後継者を育てるため、今年の秋は“地獄のキャンプ”が待っている。

 あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。