【球界を支える異色野球人】「周囲から『出たがり』と言われることもあるけど本当はそうじゃない。できれば別の人にやってもらいたいんだけどね」

 苦笑いを浮かべこう話すのは日本ハムの二軍球場・鎌ケ谷スタジアムで連日球場を盛り上げる「DJチャス。」こと中原信広さん(52)。球団職員として首都圏事業部ディレクターという肩書を持ちながら“生身のゆるキャラ”として絶大な人気を誇る。

 試合開催日には紫色のスーツを身にまとい、どこからともなく出没。マイクパフォーマンスやど派手な演出で観客を笑いの渦に巻き込む光景は今や鎌ケ谷の名物でもある。

 そんな破天荒なキャラを日々演じる中原さん。大学時代の夢はプロ野球選手だった。大分県立中津北高から明大に進学。外野手として夢を追い続けた。ところが、大学2年時に父親が急死。金銭的な事情で野球との決別を強いられた。

「目標を失い、大学も辞めようと思った。でも、2学年先輩だった武田一浩さん(現野球解説者)や同級生が次々に自分の好きな道(プロ野球)に進んでいく姿を見て、うらやましいというか。自分も『将来は選手じゃなくても野球に携わっていきたい』と改めて思った。それで大学卒業後の1990年に球団職員になったのです」

 チーム付き球団広報を17年間務め、2006年から現職に就任。二軍球場を活性化すべく婚活イベントやプロレスとのコラボなど、それまでの球界にはなかった独創的なアイデアで集客に努めた。「DJチャス。」誕生もその一環だった。

「10年に米マイナー球団の視察に行った際、球場のDJや裏方さんがお客さんとともに楽しそうにイベントを行っている光景を見まして。鎌スタでも取り入れようと思った。裏方全員がキャストになり、ディズニーランドのような雰囲気を目指したんだけど、日本人は恥ずかしがり屋なのか、うまくいかなくてね。そこで自分自身がキャラクターに扮して周囲を盛り上げようと考えた。『チャス』の由来は自分が先輩や同僚に対し『(こんに)ちわっす』とあいさつしていたものを当時チームにいた助っ人・ウィンタースに『チャス』とまねされたのが始まり。以来、チャスが自分の愛称になったので名前はこれでいいかなと(笑い)」

 14年シーズンから始めた生身のキャラだが、当初は困惑した。奇抜な衣装でのパフォーマンスに加え、職員である自分が選手以上に目立っていいのか。答えのない状況に葛藤の日々が続いた。それでもキャラに全身全霊を注ぐ姿は次第にファンの共感を呼び、人気は年々上昇。活動6年目を迎えた現在は球団の枠を超え「鎌ケ谷の顔」として地元にも浸透しつつある。

「最近は通勤で利用する東武野田線の車内でもファンや子供たちに声をかけられる。うれしい半面、恥ずかしさもある。だって、電車内ではチャスじゃなく、ただのおじさんだから。どこまでチャスを演じるか。線引きが難しいんだよ」

 今後は後継者の育成とともに自らの引き際も視野に入れる中原さん。「野球選手もそうだけど、この世界は何が起こるかわからない。僕もある日突然チャスをやめるかもしれない。でも、それでいい。シナリオ通りの人生は好きじゃないので、今は目の前のことに全力で取り組む。そして一人でも多くのお客さんに球場で楽しんでもらいたい」

 球団職員と異色キャラの二刀流。複雑な胸中をのぞかせながらもファンへの思いは忘れない。