【球界を支える異色野球人】「子供のころからサッカーが好きだったので、この仕事に就くまで詳しい野球のルールを知らなかった。今思えばよくこの世界に飛び込んだな、と不思議に思うぐらいです」

 苦笑交じりにこう話すのは、ロッテでスペイン語通訳を担当して今年で11年目を迎え
た田原大樹さん(34)だ。

 学生時代にスウェーデンに留学経験がある父・久義さんの影響もあり、幼少期から外国
語を身近に感じ、中学のころには漠然と通訳業を将来の目標に掲げた。札幌開成高を卒業後に「せっかくなら英語以外の言語をマスターしよう」と神田外語大スペイン語学科に進学。在学中にはメキシコに1年間留学し、卒業後の2008年にも政府交換留学制度を利用して同国での語学習得に励んだ。現職への布石は留学中のある出来事がきっかけだった。

「国費でメキシコ国立大に留学していたのですが、10か月がたった09年5月ごろにメキシコ全土で豚コレラが拡大。この影響で日本から帰国命令が出たのです。そこで母校の関係者に就職相談をしたところロッテの通訳募集を知り、すぐに応募。運良く採用となりました」

 09年6月、球団通訳としての最初の仕事は、当時在籍していたキューバ人選手・ムニスの担当だった。だが、田原さんは野球を熟知してたわけでもなく、当初は慣れない業務に困惑した。

「通訳は選手に言葉を伝達するだけでなく、身の回りの世話や打撃練習の手伝い、キャッチボールの相手もしないといけない。当時はそれが思うようにできず悔しい思いをしました。ルールも曖昧で、インフィールドフライや挟殺プレーも知らなかったので、ムニスには迷惑をかけました」

 外国人選手と一体になる通訳の仕事には醍醐味もある。田原さんの一番の思い出は10年の交流戦でのこと。

 担当していたムニスがヤクルト戦で来日初安打を放った直後に「日頃のお礼だ」と記念ボールをプレゼントしてくれた。

「大切なボールを僕に贈呈してくれるとは夢にも思っていませんでした。この時はベンチ裏で泣きそうになりましたよ。それまでいろいろと苦労はありましたが、通訳になって良かったと思いましたね」

 12年のオフには自費でカナダに留学し、英語力を徹底的に磨いた。そのおかげで、球団から英語通訳も任されるようになった。今後は通訳業に加え「ラテン系選手の発掘にも携わりたい」と言う田原さん。自らの努力と周囲の支えで活躍の場を広げていく。