野茂氏と借金トラブル 佐野氏が真相激白

2019年05月30日 11時00分

本紙インタビューに胸中を明かした佐野氏

 あの“渦中の人”は今、どうしているのか。近鉄や中日で主に中継ぎ投手として活躍し「ピッカリ投法」でも知られる佐野慈紀氏(51)だ。昨年9月に元メジャーリーガーで近鉄時代のチームメートだった野茂英雄氏(50)から借金訴訟を起こされていたことが表面化。ここ最近は表舞台から姿を消しつつあったが、時代が平成から令和へと変わったことを機に、胸にしまい込んでいた“真相”を本紙に打ち明けた。すべては野茂氏への償い、そしてリスタートを図るために――。

 ――最近まで体調を崩していたと聞いた

 佐野:はい。2月の27日から3週間ほど入院していました。心不全です。1月の末ぐらいから体調が悪くておかしいなと思い、病院へ行ったら先生に「佐野さん、今日入院です」と言われて。着の身着のままICU(集中治療室)へ3日間、入っていました。体重もだいぶ落として今は60キロ台…。中学生以来の数字ですね。なるべく規則正しい生活を送るように心がけています。ただ、続けていた仕事は辞めざるを得なくなりました。

 ――昨年12月から知人の紹介で飲食店のコンサルタント会社社長の専属運転手をしていた

 佐野:病院の先生からも「運転ぐらいは大丈夫ですよ」と言われていたので続けたいと思っていましたが、実際退院してからかなり体がきつかった。これはちょっと無理できないなと。ちょうど3か月ぐらいですよね。体も慣れてくるだろうし、収入もある程度は計算できるから、いろんなことがプラスに作用すればいいなと思っていた矢先にこれだったので…。

 ――昨年9月には野茂氏との借金トラブルが週刊誌報道で明るみに出た

 佐野:自分の中で勝手な戒めですが…。元号も変わったし、今までやってきた不義理は全部清算しろという神のお告げかなと思っています。確かに今はどん底とまで言わないですけど、かなり苦しいし、家族だけじゃなくて周りにも迷惑をかけている状況。ようやく少しずつ光が見えている中で、こういう状況に陥ったので、あとはもうこれ以上はないと思うので。健康でいることが一番大事だと思っています。

 ――あの報道が出た直後、随分と不慣れな仕事もしていたとか

 佐野:(評論家等の)仕事は全部ストップしてしまいまして…。日雇いでも何でもやらないと収入が確保できないから、昨年の10月に入ってすぐに知り合いの社長さんに頼んで、ヘルメットに作業着姿で学生さんたちと一緒に夜中も働かせてもらいました。水道局の深夜バイトです。運転手の仕事を頂いたのは、その後ですね。

 ――そもそも野茂氏からなぜ借金をしたのか

 佐野:2003年にオリックスへテスト入団し1年間だけプレーして、そのシーズンを最後に引退した時です。その前の2年間は米国でドジャースのマイナーや独立リーグなどでプレーしていたのですが、このころから年俸が低くなって…全盛期の100分の1ぐらいですかね。実際、おカネもその時なかったですし、いわゆる“瀕死”の状態でした。さらに実家にいる母親が体調を崩してしまったこともあっておカネがかかることから、住宅ローンも払えなくなり、当時住んでいた家を手放すことにした。そういうタイミングで野茂さんが「じゃあ、サポートするよ」と手を差し伸べてくれたのです。

 ――引退後の仕事は決まっていなかったのか

 佐野:引退して最初にすぐ決まったのは、メジャー(中継)の解説1本だけだったんですよ。収入がゼロになることも危惧して(野茂氏から)「仕事して返してくれたらいいから」ということで提案があったんですよね。最初は断りました。「そんなことはできない」と。友人だし、もし返せなくなったら関係もこじれ、とんでもないことが起きると当然思っていましたし…。でもやっぱり、その言葉に甘えちゃったんですよね。家族もあったし、ましてや支払わなきゃいけない税金であったりだとか、母親の体のこととか、あとは…。

 ――あとは

 佐野:詳しくは言えないのですが、昔お世話になった近しい人がいまして…。現役のときに、その近しい人から連絡が入るようになって金銭的な援助をしていたのですが、正直だんだんと苦しくなってきたので、ある程度のおカネを渡して縁を切ろうと思ったのです。僕のカッコつけですね…。奥さんにも言えず、黙ってやってしまっていた。この話は野茂さんに、まだ話せていません。

 ――引退後は野茂氏のおカネがあっても、実際のところ火の車だった

 佐野:そのとき本当に僕は(野茂氏のおカネを)預かるだけにしようと思った。使わずに済むんだったら、そっちのほうがいいと。ところが今考えると僕の甘さなんですけど、手元にあると手を出してしまうんですよね…。それでも引退して最初のころは帯でもテレビ番組に出させていただいて順調に来ていたんですけど、それがなくなって坂道を転げ落ちていった。おカネも最初のうちはちゃんと返せていたのに履行できなくなって…。僕のほうが2009年ぐらいから野茂さんと会いづらくなってしまった。

 ――一部メディアには、借金をしているにもかかわらず派手に暮らしていると書かれていた

 佐野:そんな余裕がどこにあるのか…。みじんもないですよ。東京に出てきたのも仕事を増やそうと思ったからですが、今はご覧の通りです。

 ――今後どうしていきたいのか

 佐野:一番大事な野茂さんとの関係を何もしていなかった。今回入院した時にやっと気付きましたね…。そこをちゃんとしないと何も言えなかった数年間と同じことになる。だからこっちの状況を、どうにかして伝えたい。どうしても書かれ方によっては誤解される部分もあるので、ここは伝えておかないといけないし、返済するには自分のできる最大限のことをしなければいけない。たまたま僕はメディアに出られるチャンスを頂いているので、今回東スポさんのように話を振っていただけるのであれば積極的に話をしようと。自分の戒めとして、100%否定されることばかりですけど、ネットに出ている記事や一般の人たちのコメントも全部端から端まで読んでいます。最後にこれだけは言わせていただきたいのですが…。マイナスからのリスタートになりますけれども、もう一度野球界と向き合えるように真面目に生きていきたいと思っています。

【佐野氏の借金問題】昨年9月26日に「週刊文春」が報じたことで表面化した。同誌の報道によれば、佐野氏は2003年9月に野茂氏から年0.3%の利息で3000万円を借りたものの、10年後の期限までに434万5000円しか返済せず、残金の返済を求められて訴訟へと発展。同年9月20日に東京地裁が野茂氏の訴えを全面的に認める判決を言い渡している。

☆さの・しげき=1968年4月30日生まれ。51歳。愛媛県松山市出身。現役時代は右投げ右打ち。松山商業で86年夏の甲子園に右翼手兼控え投手として出場し、準優勝に貢献。近大工学部(呉キャンパス)でエースとして、チームを広島六大学連盟リーグ10連覇へと導き、最優秀投手にも4回輝く。90年のドラフトで3位指名を受けた近鉄へ入団。95年に自身初の2桁勝利を飾り、96年にはチーム最多の57試合に登板するなど中継ぎとしてフル稼働。同年オフの契約更改で中継ぎ投手としては史上初の年俸1億円プレーヤーとなる。99年オフに中日へ移籍。その後はドジャースとマイナー契約を結ぶなど米国でプレー。オリックスで国内復帰を果たした2003年シーズンを最後に現役を引退した。