名選手たちのユニークな愛称

2019年06月01日 16時30分

【越智正典 ネット裏】先週、母を待つ青バットのホームラン王、大下弘の話をお伝えしたが、戦時下の1942年に台湾高雄商業から明治大に入学した大下が、和泉校舎にあったグラウンドで打ち出すと、打球は右翼うしろの松林の上を飛んで行った。ポンポン打つので「ポンちゃん」と呼ばれ親しまれた。それで思い出した。今週は選手の愛称にお付き合いをお願いしたい。

 ありゃあー、陸軍のポンポン式高射砲だ…と上級生の「神主一刀流」東映監督のときは「オトウチャン」岩本義行の弟、岩本信一が言い出し、みんな肯いた。そのノブさんは、69年中日の監督に就任した水原茂に招かれて寮長兼コーチ。横須賀海軍特別陸戦隊の中隊長だったので星野仙一ら寮長たちが「中隊長」。

 プロ野球初代三冠王、巨人中島治康は「班長」。代打満塁逆転サヨナラホームランの樋笠一夫は「隊長」。天皇陛下と皇后陛下もいた。二軍の地方遠征。打撃練習を始めると場外弾また場外弾の井上安雄が「天皇」。2番目の飛ばし屋野草義輝が「皇后」。53年秋、日米野球でNYジャイアンツを2対0。日本単独チーム対MLB初勝利の投手大友工は気はやさしくて力持ちと「金太郎」。

 世の中が少しずつ落ち着く。選手は休日に映画に。国鉄の佐藤孝夫は若草物語から「バンビ」。トムソーヤの冒険を見に行った阪神の先輩たちは、ちいさな捕手山本哲也を健気だ! と「トム」と呼び出した。当時阪神の合宿所は甲子園球場の2階の奥。トムくんは休日にはだれもいないグラウンドに降りて来て、本塁に構え補邪飛を描き、マスクをハネ上げて走り要所要所までの歩数を叩き込んだ。バックネットまでは14歩。

「ミスター」と呼ばれた長嶋茂雄には「燃える男」時代があった。マスコミの命名ではない。天王山を迎えると長嶋は練習のときから「ウー、燃える、燃えるウー」と叫んでいた。

 傑作は阪神の名遊撃手吉田義男の「牛若丸」。監督松木謙治郎はイッパイやると必ず吉田の話をした。「遠征の宿でもずうーとグラブをはめていますよ。はずすのは食事のときだけです」。55年秋、来日したNYヤンキースの監督KC・ステンゲル、投手ホワイティー・フォード、話好きな捕手ヨギ・ベラ…ら全ナインは、オカネを出し合って見事な日本のリトルショートストップに敬意をこめてトロフィーを贈った。努力は国境を超えてわかる。

 先年、カナダのトロントへスケート場を見学に行ったとき、リンクのそばの市民公園で“野村克也”が“散歩”していた。

“あっ! 野村がいる!”。友だちと叫んだ。たのしかった。「ムース」(大鹿)が市民と歩いている。どのチームのだれがいちばんはじめに言い出したのか、記憶が遠いが、日米野球で来日したMLBの男たちが言い出した。「ムース」。のっそりしているようで、ここというときに俊敏。ニックネームを野村に奉呈した彼らはよく見ていた。 =敬称略=