【赤坂英一 赤ペン!】先週8日、神宮のヤクルト―阪神戦が令和初の警告試合になった。阪神・岩田がヤクルト・青木に頭部死球をぶつけて、両チーム乱闘寸前の事態に発展。岩田を危険球退場とした審判が、「挑発的な行為があれば退場とする」と警告したのだ。

 青木は昨年、岩田と岩貞から頭部に2度、今年も尾仲からヒザに1度と阪神戦で3度もぶつけられていた。今回は4度目なのだからヤクルトがいきり立つのも無理はない。

 神宮のこのカードは、平成年間もよく乱闘騒ぎが起こった。最近では2013年9月14日、本塁で阪神・マートンがヤクルト・相川に激突。両者がもみ合って退場処分となっている。これが、2年後のコリジョンルール導入の一因になった。

 1996年6月29日には、阪神・嶋田がヤクルト・古田にカウント0―1から3球続けて頭や胸元に投げ込んで大乱闘となった。最初に古田と捕手・山田が口論になり、山田が先に手を出すと、古田が山田に“首投げ”一閃。力士や柔道家さながらの鮮やかさだった。

 このときも古田、山田が両者退場。審判がアナウンスの際に「アトムズの古田選手」と間違えてファンの失笑を買った。

 そんな神宮で、“平成最大の乱闘”が起こったのは94年5月11日である。当時ヤクルトは野村監督、相手は長嶋監督率いる巨人。両監督は前年93年から激しく火花を散らし合い、よく死球絡みのトラブルやケガ人が続出していた。いわば2年越しの遺恨を抱えた両チームはこの日、まずヤクルト・西村が巨人・村田真一に頭部死球。この時代は危険球退場ルールがなく、西村の続投が許されたため、巨人・木田が西村の尻に報復の死球をぶつけた。

 すると、今度は西村が巨人・グラッデンの頭部付近に投げ、これをきっかけにすさまじい大乱闘に発展。グラッデンが捕手・中西に計4発のジャブとアッパーを見舞って、落合、広沢、ハウエルらの主力も総出で取っ組み合い。退場処分は西村、中西、グラッデン。うち中西とグラッデンは病院に担ぎ込まれている。

 長嶋監督は「目には目をですから」と、木田に報復死球を指示したことを明言。これに野村監督が「それは大変な問題やぞ」と怒りを募らせた。この事件をきっかけに、頭部死球は即退場というルールが新設されたのである。平成年間の野球は熱く、荒っぽかった。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。