【楊枝秀基のワッショイ!!スポーツ見聞録】背番号29のタテジマに身を包んだ姿がまぶしかった。マウンドにはOBの井川慶氏。18・44メートル先には矢野監督がミットを構えている。虎党であれば、あのころを思い出さずにいられなかっただろう。2003年、05年にリーグVをもたらした黄金バッテリーが一夜限りの“復刻”。4月30日の広島戦(甲子園)での始球式は夢のような光景だった。

 久々の聖地での投球に井川氏は「幸せな空間だった」と感慨深げだった。その一方で06年から13シーズン、優勝から遠ざかっている現状に話題を向けると表情を曇らせた。平成の虎のエースが令和の虎に求めるものは何なのか。その答えは打線の奮起だった。

「僕の時代は単純に点を取られても取り返してくれた。さらに打って、突き放してくれると相手も単純な攻めしかできず楽に投げられた。要は打てればという話」

 井川氏がそう振り返るように、打線の援護を得て相乗効果で自身も結果を重ねた。結果が残れば自信が増し成長を実感できた。暗黒時代から抜け出そうと必死だった当時の阪神。井川氏はそのころと現在に共通点を感じている。

 03年の阪神は今岡、赤星がチャンスをつくりFA加入の金本、若き4番の浜中らが打線の中核となった。盤石というよりは発展途上。現在でいえば赤星の存在は近本、浜中が大山、金本が糸井や福留とかぶる。井川氏は「今年のチームも同じようになれると思う。最初から結果は出なくても、経験を積んでいけば、運や流れをつかめば、何が起こるかわかりませんよ」と矢野阪神の可能性を信じている。

 元来、野球とは何が起こるかわからないゲーム。18年ぶりのリーグVを遂げた03年、23歳の井川氏が20勝することを想像できた人はほぼいないはずだ。

「僕が阪神にいたときに、今の3連覇している広島の姿は想像できなかった。何かをしたら確実に勝てる方法なんてどこにもない。阪神だって去年は最下位でも、その前年は2位でしょ。やってみないと分かりません」

 03年の再来を。常勝軍団の復活を。虎のレジェンド左腕は待ち望んでいる。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。