藤田巨人軍が日本一 最大の功労者はクロマティ

2019年05月01日 11時00分

リーグ優勝を決めた祝勝会ではしゃぐクロマティ(中)(1989年10月)

【赤ペン!赤坂英一】平成元年、巨人は藤田監督復帰1年目で優勝と日本一を達成した。当時主砲だった原監督が監督に返り咲いた令和元年の今年、30年前の快進撃の再現を期待している巨人ファンも多いだろう。

 その平成元年のMVPに選ばれたのは、原でもなければ最多勝と最優秀防御率を獲得したエース斎藤でもなく、外国人のウォーレン・クロマティである。プロ野球記録の96試合目まで打率4割台をキープし、球団史上最高打率3割7分8厘で見事首位打者に輝いた。

 クロマティはピンク色の風船ガムが大好物で、練習中も試合中もプーッと膨らませる。「オレに4割なんて打てるわけがないだろ。そのうち3割そこそこに落ち着くさ」とうそぶきながら、連日ヒットを量産。「ボールがスイカに見えるよ」という“名言”も残した。

 それだけ好調な理由は何か。クロマティが言うには「日本の投手がオレとまともに勝負しようとせず、かわそうとばかりするだろ。だから長打を狙わず、単打が打てればいいと思ってるんだ」。

 真面目くさってそう言いながら「オレは今年で引退する。取材するなら今のうちだぞ。来年からロックミュージシャンになるから」と話してけむに巻いたりする。私が公衆電話で話していた最中、突然受話器を奪い取り「もしもし。クロマティです。巨人、優勝だよ」と日本語で言ったりと、おちゃめな面もあった。

 ちなみに、この年の原は打撃不振で、指定席の4番をクロマティに譲ることも多かった。そんな原にわれわれ記者が追いすがると、クロマティに横から「みんな、原さんをそっとしてあげてね」とまた日本語で“忠告”されたこともあった。

 そして平成元年10月6日、巨人の優勝が決まった。一番の功労者は誰かと会見で聞かれた藤田監督は「この人です」と隣に座っていたクロマティを指さした。この時だけは、いつもふざけてばかりいた彼の目が潤んでいたように見えた。

 当時、私は夕刊紙記者だったが、あるスポーツ紙の優勝記念号にそんなクロマティの言動を紹介した記事を寄稿。少々小遣いを稼がせてもらったという思い出もある。

 令和元年のビヤヌエバやゲレーロも好調だ。30年前にクロマティに4番を譲った原監督が、いかに彼ら外国人を“操縦”するか。平成元年の巨人優勝を取材した私の個人的な見どころである。