逆輸入投手は現在ゴールドジムのマネジャー

2019年04月29日 11時00分

スポーツジムで店長を務める藤谷さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】「プロ入り前から日本の野球のことは知らなかったので、野球界に未練はありません。今の仕事のほうが面白いし、やりがいも感じるので」

 力強い口調でこう話すのは元ロッテの藤谷周平さん(31)。現在、東京・四谷にある「ゴールドジム四ツ谷東京店」のマネジャー(店長)として店舗運営に携わる。

「今の役職に就いたのは昨年7月。うちのジムだけで会員は1200人ほどいます。プロ野球選手の時より大変? そうでしょうね」

 藤谷さんは2010年ドラフト6位でロッテに入団した。生まれは東京・江戸川区だが、父の仕事の関係で7歳から米国暮らし。南カリフォルニア大学からプロ入りした経緯もあり、当時は「逆輸入投手」として話題になった。

「日本の球団から指名された時は驚きました。大学在学時にパドレスにドラフト指名されたことが日本球界入りのきっかけですが、それまでは『プロでやるならメジャー』と考えていた。日本語もすぐに言葉が出てこないような感じでしたから」

 190センチの長身から繰り出す最速96マイル(約154キロ)の直球を武器に将来を嘱望された。しかし、右肩や股関節、ヒザなどの度重なる故障に加え、文化の違いにも悩まされ低迷。一軍登板機会のないまま、わずか4年で戦力外を言い渡された。

「チームメートには恵まれましたが、米国で育ったせいか、僕は自分の考え方を首脳陣やコーチにはっきり伝えていた。その言動をあまり良く思わないコーチもいたと思います。でも、日本で生活して人を使う立場になった今、改めて当時の自分を振り返ると、何となく分かる気がします。今、当時の自分が目の前にいたら僕もイラッとするかもしれません(笑い)」

 プロ生活は短命に終わったが、職を失った直後に、ゴールドジムを経営する社長から現職につながる誘いを受けた。提示された条件は、運営する野球チームの選手兼コーチとしてプレーし、店舗業務も担うというもの。両立は容易ではない。それでも二つ返事で誘いを受けたのは、現役最終年に興味を抱いたトレーニングへの思いだった。

「プロをクビになる年の春季キャンプ前に、チームの先輩だった渡辺俊介さんの練習に参加したのですが、その時お世話になった平岩時雄さんというトレーナーの方の指導に興味を持ちました。簡単に言うと『最小限の力で最大限の出力を出す効率のいい体の動かし方』。このトレーニング法をもう少し突き詰めたかった。それなら、ここで働くのが一番いい。自分で体の管理をしながら、多くの人への指導でトレーニングの結果や答えも出せる」

 入社1年目は朝6時すぎに千葉市内の自宅から都内の練習場に移動。午前8時から午後2時ごろまでチームの練習に参加した後、勤務するジムに戻って深夜まで一般客へのトレーナー業や雑務に追われる日々が続いた。当時は休みも少なく、疲労困ぱいの時期もあった。それでも辞めようとは思わなかった。与えられる重責や仕事への探究心が自らを奮い立たせた。

「都心の一等地にあるジムなので会員の方々は大手企業の経営者など、人間的に尊敬できる人が多い。そういう方々とトレーニングを介して、いろいろなことを吸収できる。自分への刺激にもなるのです」

 仕事ぶりが認められ、店長になった。現在はトレーナー業務だけではなく「苦手だった」という新規顧客獲得も行う。自社グループ内でも屈指の売上高を誇る店舗責任者とあって、さらなる収益向上にも意欲的だ。

「店長になって大きな金額を動かしたりするので重圧は感じます。でも、普通では簡単にできないマネジメントにも関われるので幸せでもある。まだマネジャーとしては思い描く数字、結果を残せていませんが、今後は英語や、これまでの経験を生かして、いろいろなことに挑戦していきたい」

 球界を離れ、天職をつかんだ元異色右腕。向上心は衰えない。

 ☆ふじや・しゅうへい 1987年、東京都生まれ。7歳で渡米後、米ノーザンアイオワ大在学中にパドレスからドラフト指名を受けたが、学業優先のため入団を拒否。南カリフォルニア大への移籍を経て2010年ドラフト6位でロッテに入団。14年オフに現役引退。15年1月にゴールドジム入社。190センチ、右投げ右打ち。家族は15年に結婚した夫人と1女。