球史に残る大洋ホエールズファーム情報誌「泥にまみれて」

2019年04月27日 11時00分

横浜大洋ホエールズのファーム情報「泥にまみれて」第1号

【越智正典 ネット裏】DeNAが球団創立70年のことし、WHALESの復刻ユニホームで3月10日下関で広島とオープン戦。開幕後も6試合着用する。結団時の左腕岩本信一(明治大、明電舎、南海…星野仙一が寮生だったときのドラゴンズの寮長)が、いつも楽しそうに大洋第1年の下関キャンプを語っていたのが思い出される。

「いいキャンプだったなあ。監督中島治康先輩は饅頭が大好きで宿に頼んで部屋に三方に盛って貰っていたんだ。監督が所用で外出すると、それ!と監督室へ行ってご馳走さんです。全く気がつかない監督は、帰って来ると勘定を払ってまた盛って貰っていたなあー」。うれしいことがあると「バ、バッキャーロ」が口癖の、プロ野球初代3冠王(巨人時代、38年春)の大らかな人柄が忘れられなかったのであろう。

 大洋漁業の出航船と陸とを結ぶ基地の下関で活躍していた熱血社員宮川進之は、1976年3月29日、球団常務、代表に就任するとみんなにファームのことを沢山知って貰おうと、ファーム情報「泥にまみれて」を発刊。総務部の柿崎政治を担当に。柿崎は「小学校で学級新聞を作っただけだった」が、すぐに見事な編集長になる。

 77年7月、第1号は「はじめまして」。宮川にはチームの勝利は二軍教育育成からという思いがあった。第2号はキャンプのカラオケ大会でいちばん受けたのは「くちなしの花」を歌った西山茂。「途中から音程がブレたが」一生懸命続けた。

 第5号は「ご覧下さい」と82年イースタン・リーグ優勝のペナント。「延べ41名の若者の戦いの成果です」と写真説明。12号では84年の大洋カレンダーをちいさくかこんで紹介。1部1000円。選手が暮れに帰省するときのいい土産になる。

 16号、与座朝勝の焼津キャンプ日記。「二月十三日、いい当たりをしても飛ばない。強い西風が憎らしい」。この若者の工夫が始まっていた。

 23号も焼津キャンプが描かれている。鈴木隆チーフの投手へのノックが進んで行く。福島の名峰安達太良山を仰ぎ見て育った彼は清冽な男である。

 中央大では補欠。川崎トキコで開花。57年の都市対抗全国大会が終わると、デトロイトで開かれる第3回世界ノンプロ選手権大会に出場する全日本が編成され選出された。大会では日本優勝のMVPに。表彰式が終わると鈴木は警官に手錠をかけられた。「日本には帰さない、MLBに入ってくれ」。荒っぽく茶目な祝福だった。

 こんな体験からなのか。ノックが突然、ジャンケン合戦になった。負けると特訓ノックを受けるのだ。3連敗で10本、5連敗で20本。投手たちの賑やかな祭典とも言えた。杉浦幸二は疲れ「パー」しか出せなくなった。

 90年3月19日、宮川が転務になった。もし、彼の路線がもう少し続いたらその後のこの球団の回り道はなかったであろう。「泥にまみれて」が球史に残った。 =敬称略=

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