イチローも人生相談した楽天の新寮長・中村稔という男

2019年04月14日 11時00分

【ネット裏・越智正典】楽天、泉犬鷲寮新寮長、中村稔は、少年時代中日を見に行くと飯田幸夫(横浜高)から「折れちゃったけど」バットを貰った。飯田の背番号12がいまも目の底に焼き付いている。中村の優しさが始まる。

 名電(現・愛工大明電)へ進学を決めると、同野球部で評判になった。「知立から人間的に素晴らしい中学生が来るぞ」。ショートで1番。2年秋に主将。3年夏の愛知大会の東邦戦。「サイレンが鳴っているうちにホームランを打って来まーす」。合宿所を出て行った。この一打で甲子園へ。

 第1戦の朝、大会宿舎、宝塚の島屋では出陣のお祝いに尾頭付き。お手伝いさん総出で、お食べ、お食べ…と七輪で目刺を焼いた。しばらくすると中村主将は「充分頂きました。もう焼かないで下さい。残すと勿体ないですから。ありがとうございました」

 第2戦の朝も彼が、先頭で出発。道がせまく大会本部手配のバスは宿の前まで入れない。坂の途中で彼がナインに「お年寄りが来るよ。みんな道をあけて」。工藤公康(ソフトバンク監督)が石垣にからだをくっつけた。

 北陽戦。中村稔が左翼に本塁打。日本ハムの瓜生スカウトが推し、ドラフト3位で入団。現役5年。今度は球団が挙げて推して審判に。1989年4月16日、川崎球場でのロッテ―近鉄戦の右翼線審で初出場。それから32年、2876試合、日本シリーズ13回。私は朝はやく担当球場にやってくる彼に心打たれた。

 オフは在京名電卒業生の人生相談。イチローも彼に人生相談。名電の合宿所で選手の世話をしていた小出保子さんの娘さん、光ちゃん、望ちゃんも、おにいちゃんと言ってずうーと慕っていた。中村が本気で叱り本気で励ますからだ。

 光ちゃんがイチロー副主将のときの主将、深谷篤(法政大、三菱自動車岡崎、審判)と婚約すると、仲人はおにいちゃんに…と両家一致。披露宴が終わると彼は直立不動。「深谷の法政大のときの恩師鶴岡泰監督、星稜の山下智茂監督もお見えで、私如きが媒酌人で恐縮でした」

 彼が寮長になったのは楽天統括本部、ファームディレクター、長島哲郎の訪問に始まる。中村はロッテの投手だった長島の死球をアゴに受け1か月入院したことがある。長島は見舞いのときもその後も中村の人物に惚れた。中村は、で、寮長を引き受けたのだが、野球の現場から遠い仕事でも引き受けたであろう。おにいちゃんはそういう男でもある。

 1月4日、仙台市泉区の寮に着任、入寮。まだ新人たちも入寮していない。寮はガラン…。が、名セリフで春を待っていた。「選手と一緒に風呂に入るのがたのしみです」

 そう、そう言えば、巨人V9監督川上哲治は、風呂のなかで選手を諭し、励ました。川上の入浴時間が長くなるにつれ、V6、V7、V8…と連続制覇して行った。
 =敬称略= (スポーツジャーナリスト)

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