新米記者の私を指導してくれた近藤昭仁さん

2019年04月02日 16時30分

藤田監督(右)をヘッドコーチとして支えた近藤さん(1990年)

【赤坂英一 赤ペン!】「お~い、赤坂ぁ。久しぶりだな。元気かあ」

 独特の甲高い声で近藤昭仁さんに呼ばれたのは確か4年前、横浜スタジアムの正面玄関だった。解説の仕事ですかと聞いたら、色紙入りの紙袋を見せ「もうそんなトシじゃないから。(選手の)サインをもらいに来たんだよ」と笑っていた。

 結局、それが近藤さんに会った最後になった。今年の開幕直前、27日に80歳で亡くなられたと聞いて、4年前にもっとちゃんと話をしておけばよかったと悔やまれた。

 私がまだ駆け出しだった1989年、近藤さんは藤田監督の元で巨人のヘッドコーチに就任。グアムキャンプでの打撃練習の際、一、二塁間にロープを張って「ここから下にゴロを転がせ」と選手を指導していた。

 なぜこんな練習が必要なのかと近藤さんに聞いたら「つまらん質問をするな!」と一喝。いまなら進塁打の意識付けとわかるのだが、若造の私は近藤さんのけんまくに完全にビビってしまった。

 しばらく何も聞かずにいると、近藤さんは「何か質問はないのか?」と近寄ってくる。私も頭をひねり「フリー打撃では自由に打たせてますが、それでいいんですか」と聞くと、近藤さんはうなずいて「そういう質問ならいいんだよ!」。

「右打ちの練習ばかりさせてたら、打者はストレスがたまる。おれの言うことも聞かなくなるかもしれん。だからフリーは好きに打たせてるんだ。メニューを組むにはバランスが大事なんだよ」

 右も左もわからない新米記者にかんで含めるような丁寧な説明だった。ロッテ監督だった98年にはプロ野球ワーストの18連敗を記録。退任後に近藤さんが語った思い出話も忘れられない。

「あのころは毎晩毎晩、眠れなくてな。(元巨人監督の)藤田さんが自分で使っているハルシオン(睡眠導入剤)を送ってくれた。軽いのだと全然効かないから、藤田さんが医者に頼んで重いのを処方してくれたもんだ。まあ、本当は、いけないことらしいんだけどね」

 近藤さんは2006年、原監督の元で巨人のヘッドに復帰。Bクラスに低迷していたころ、私が「原監督もハルシオンを使ってるんでしょうかね?」と近藤さんに聞くと、こう言って笑った。

「いい質問だねえ。それは監督に聞いてごらん」

 数々のご教示ありがとうございました。つつしんでご冥福をお祈りします。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。日本文藝家協会会員。