西武、巨人コーチで4度の日本一・近藤昭仁さんが死去 元番記者が悼む

2019年03月28日 11時30分

日本シリーズで優勝した巨人の東京・銀座のパレードで手を振る近藤さん。右は藤田監督、中は正力亨オーナー(1989年10月)

 横浜(現DeNA)、ロッテで監督を務めた近藤昭仁さんが27日、敗血症性ショックのため川崎市内の病院で死去した。80歳。

 監督通算302勝353敗5分け、ロッテ監督時代の1998年にはプロ野球記録の18連敗を喫した。名将とは呼ばれることはなかったが、短い間ながら、身近に接した自分の中では忘れがたい監督だ。

 ただただ優しい人だった。横浜(現DeNA)監督に就任した93年から担当となり、近藤さんとの距離感をどうとるか試行錯誤していたころに、こんなことがあった。

 たぶん書くネタに困っていたのだろう。失礼を承知で横浜市鶴見区の自宅を訪ねた。確か試合のない日の夕方だったはずだ。思い切って呼び鈴を押すと、まずは在宅中だった由紀子夫人が対応してくれた。玄関前にたたずむ不審者のような自分に「主人はまだ帰ってきません。中で待っていてください」と。

 ずうずうしいついでに居間で出していただいたコーヒーをすすっていると、しばらくして近藤さんが帰ってきた。さぞかし驚いたはずだ。愛妻が一人待つ自宅に、担当になって間もない自分がいたのだから。「はあ?」という、あきれたような表情が今も忘れられない。

 それでも「で、聞きたいことは何だ?」と相手をしてくれるのが近藤さんだった。過去に東スポで評論家をされていたことがあり「何とか協力してあげよう」との思いもあったのだろう。穏やかな表情で30分近く取材に応じてもらった。球場でもそう。近藤さんは鬼のような当時の部長とも面識があり、報告するネタがなくて下を向いていると「どうした、また怒られたのか?」と気にかけてくれた。あの言葉にどれだけ救われたことか。

 野球には厳しい人だったが、思い出に残っているのは優しい笑顔。現在はカメラマンとして競走馬を追う日々を送っている自分にとって、近藤さんとの出会いは誇りであり自慢でもある。合掌。

(1993~94年、横浜担当・飯星睦夫)