達川氏がイチローと現役で対戦していたら何をささやいた?

2019年03月30日 11時00分

【赤坂英一  赤ペン!】元広島の名捕手にしてソフトバンクの前ヘッドコーチ、達川光男さんの初の著書「広島力」(講談社)が出た。お手伝いした私としては、大いに売れてほしいのだが、当の達川さんは「うーん、なかなか難しいかもしれんぞ」と少々弱気だ。

 なぜかと聞いたら、同時期に広島の後輩、新井貴浩氏の本が発売されたからだという。「新井は広島のイチローみたいな存在じゃけんの」と達川さんは戦々恐々である。

 イチローといえば、21日に現役引退を表明したばかり。彼がオリックスの新人だった1992年は達川さんが引退した年でもあり、1年だけ重なっていた。リーグが違い、交流戦もない時代だから対戦はしていない。

 だが、達川さんがダイエー(現ソフトバンク)のバッテリーコーチを1年務めた95年、イチローは安打製造機としてブレーク中。対策を考えるのが大変だったという。

「当時は頭を抱えたよ。ダイエーの主力投手は軒並みイチローに打たれたからな。みんな対戦打率が3割ぐらい。そんな中、当時2年目の渡辺(秀一・94年新人王)だけは、対戦打率1割台後半から2割台前半に抑えとったわ。曲がりの小さなスライダー、今でいうカットボールが有効じゃった」

 もし達川さんが現役の捕手だったら、お得意の“ささやき戦術”でイチローに何を言ったのか。

「いや、ああいうタイプは何をささやいても無駄じゃ。若いのにすごいの、勘弁してくれ、と“ホメ殺し”をするぐらいしかなかったじゃろうの」

 翌96年、解説者に転身した達川さんは知り合いに頼まれて、イチローにサインをもらった。その色紙を見て、達川さんは「ん?」と思ったそうだ。

「イチロー、(背番号の)51と書いてあるだけなんよ。ふつうは、ブルーウェーブというチームの名前も入れるもんじゃ」

 ひょっとしたら、当時からメジャー移籍を考えていたのかもしれない。

 それからさらに21年後の2017年、ソフトバンクのヘッドコーチになった達川さんは、甲斐を正捕手へと育成。翌18年は日本シリーズで古巣の広島を破っている。現巨人・丸を打率1割6分と徹底的に抑えたことが勝因のひとつだった。

「丸には弱点があったんよ。カープの首脳陣にはわかっとるはずじゃ」と達川さんは笑う。

 さあ、29日の開幕戦、広島―巨人戦はどうなるか。 

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。日本文藝家協会会員。

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