【赤ペン!!赤坂英一】まさか!ではなく、やっぱりな…という印象である。中日のスーパールーキー・根尾が右ふくらはぎに軽度の肉離れを起こし、2月のキャンプでは当分二軍で調整することになった一件だ。

 新人合同自主トレが始まったころから、根尾が無理してケガしなければいいが、とは思っていた。3・8キロの持久走で独走していたあたりなど、少々張り切り過ぎではなかっただろうか。

 根尾は一見クールなようで、練習やプレーに熱が入るあまり、ペースを上げ過ぎるところがある。甲子園デビューを翌年春に控えていた3年前の2016年、左太腿裏に肉離れを起こしたときもそうだった。

 高校時代、根尾は1年夏から背番号18で初のベンチ入りを果たすと、秋の大阪府大会1回戦に代打で出場し、公式戦初安打を左中間への本塁打で記録。準々決勝では先発で投手デビューし、7回無失点9奪三振という快投を披露した。さらに近畿大会では早くも4番に抜てきされ、ここでも本塁打を打っている。

 そのころから、「ぼくのアピールポイントは全力プレーをすること」と公言。「投げたり打ったりはもちろんですが、常に先の塁を狙う走塁も見てほしい」と話していた。その意気やよし、ではあったけれど、この過剰なまでにひたむきな姿勢が高校生活最初のケガにつながった。

 私が初めて生駒山麓にある大阪桐蔭のグラウンドを訪ねた17年1月、根尾はまだリハビリの最中だった。投球練習はできないが、ちょうどフリー打撃を再開したばかり。私が一塁側ファウルゾーンで見ていると、気づいた根尾が自分で防球ネットを押してきて、こう言った。

「この場所は危ないので、このネットの向こう側で見ていてください」

 この時期、根尾本人と西谷監督が慎重にリハビリに取り組んだことが、春のセンバツでの大活躍に結びついたのだ。

 根尾は公称こそ177センチ、80キロながら、広島に入団した178センチ、83キロの小園(報徳学園)と比べてもきゃしゃに見える。プロのスカウトの間で「1シーズン持つ体力をつけるのが先決」だと指摘する声も多かった。

 今回の肉離れをいいきっかけにして、まずはしっかりと体づくりに取り組んでほしい。一軍デビューはそれからでも遅くはないのだから。 

 あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。日本文藝家協会会員。