【取材のウラ側 現場ノート】通算二塁打数487(日本記録)、通算安打数2480など数々の記録を持つ立浪さんだが、個人的に「さすがだな」と感服していることがある。それは、どんなときであっても記者からの質問には必ず答えてくれたことだ。
ドラ番を15年務めた自分は、立浪さんに対して失礼&無礼な質問をした回数が最も多い記者でもあった。「立浪放出も」「立浪の守備が劣化」といったマイナスの記事を書いたことも何度かあった。それでも取材拒否はおろか、質問を無言で返されたことは一度もなかった。
今でも忘れられないのが2004年の西武との日本シリーズだ。ナゴヤドームでの初戦、中日は0―2で完封負け。試合後の駐車場で自分はミスタードラゴンズに対して、かなり厳しい質問をいくつかぶつけた。「それぐらいにしといてください」。こちらの問いに丁寧に答えてくれた後、この言葉で取材を打ち切られた。静かな口調だったが、立浪さんの怒りはしっかりと伝わってきた。
その翌日の第2戦。ドラゴンズは3―6で劣勢のまま7回の攻撃を迎えた。マウンド上には「平成の怪物」松坂大輔。一死一、三塁で一発出れば同点のチャンス。ここで漫画みたいにライトスタンドにアーチを描いたのが立浪さんだった。名古屋の街を興奮度MAXにしてしまった一発に前日、怒らせてしまったことも忘れて「すごい選手だ」と興奮してしまった。
逆転勝利の後、駐車場で大勢の記者に囲まれた立浪さんは、いつもと変わらない淡々とした表情で質問に答えていた。自分に対しても、それは同じだった。
このときに限らず、気分を害するような質問や記事に対して、立浪さんからクレームがきたことは、ほとんど記憶にない。中京スポーツ(東スポ)の記事に対して腹に据えかねたことは何度もあったと思うが、直接反論するのではなく、グラウンドでの結果で超一流プレーヤーであることを証明してきたのは、さすがである。
ドラ番として自分が取材した選手の中でも間違いなくナンバーワンだと思う。
それだけに、立浪さんのユニホーム姿をまた見たいと思っているのは自分だけではないだろう。「中日・立浪監督誕生」。いつか、この見出しが東スポの紙面を飾る日を心待ちにしている。
(1994~2008年中日担当・宮本泰春)