内海の西武入りは大正解!原監督の非情采配の記憶が…

2019年01月16日 10時00分

逆転サヨナラ満塁本塁打を放った長野(奥)と抱き合う内海(2011年10月)

【赤坂英一 赤ペン!!】内海の西武入り、実は大正解だったのではないか。巨人にFA移籍した炭谷の人的補償で“放り出された”形だが、内海本人には、むしろ起死回生のチャンスだと考える。

 内海が巨人にとどまっていたとしても、今年は先発5番手か6番手の座を若手と争わなければならない。原監督は新しいモノ好きで「競争は常に横一線」が口癖だから、元エースでも優先的にチャンスを与えはしないはず。内海が結果を出せなければ、二軍で塩漬けになる可能性もあった。それなら、先発の柱として期待されている西武のほうが、よっぽどマシというものだ。

 もっと言えば、原監督は昔から内海をエースと認めていなかった節もある。ふがいない投球をするたび、「(侍ジャパンの一員なのに)ニセ侍」「(投球内容が)論ずるに値しない」などと痛烈に批判。それ以上に、内海に初めて最多勝のタイトルを取らせた2011年の原采配が私は引っかかっている。

 この年、先に18勝を挙げていた中日・吉見と最多勝を分け合うには、内海は最終戦の横浜戦で勝ち投手になる必要があった。防御率1・70と絶好調の内海が当然先発するつもりでいると、原監督は200投球回がかかっていた澤村を先発に指名。2番手に4年連続60試合登板の山口鉄を投げさせ、内海を出したのはやっと5回からだったのである。

 ところが、捕らぬたぬきの何とやらで、巨人はこのとき2点のビハインド。原采配のおかげで内海の最多勝も消えたか、と思われた9回、首位打者を確保するため休んでいた長野が代打で逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、内海にタイトルが転がり込んだのだった。

 試合後、内海はお立ち台で涙を見せたが、胸中はさぞや複雑だったに違いない。采配の意図について聞かれた原監督は「どうぞ詮索してください。ジャーナリズムの目で見て、お好きなように評価してください」と発言。巨人の左腕投手最多勝は1969年の高橋一三以来42年ぶりの歴史的快挙だったのに、何とも後味の悪いタイトル確定になった。

 内海の最多勝をアシストして自らも首位打者になった長野が、広島に移籍したのも皮肉な話。そんな巨人でひっそり投手生命を終えるより、請われて移籍した西武で、もう一花咲かせたほうがいい。内海なら、それができるはずだ。