86年広島ドラ1左腕の栗田聡さん 元プロ野球選手初の理学療法士に

2018年12月01日 11時00分

現在は理学療法士として奮闘している栗田さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】ケガや不調で苦しむ人を救いたい――。この思いを胸に引退後、理学療法士に転身した元ドラ1左腕がいる。広島、近鉄などでプレーした栗田聡さん(54)だ。1986年ドラフト1位で広島に入団。同期には今季チームをリーグ3連覇に導いた緒方孝市監督(同3位)がいる。

 栗田さんが医療の道に興味を抱いたのは現役時代。度重なる故障がきっかけだった。

「広島、近鉄とプレーしましたが、近鉄のころにはヒジや肩がボロボロ。投げられる状態ではなかったのですが、当時近鉄のコンディショニングコーチだった立花君(龍司氏)がアメリカからインナーや体幹トレーニングの新しい概念を持ってきましてね。治療や運動能力の回復に興味を持ちました。ただ、当時はインターネットがない時代。人を治療するにはどんな資格を取ればいいかがわからなかった。そこで立花君に聞いたり、自分なりに調べた結果、理学療法士という職業を知ったのです。引退と同時に資格取得を目指そうと思いました」

 阪神の打撃投手兼選手を終えた93年オフ、新たな道を踏み出した栗田さんだったが一歩目からつまずいた。

「国家資格を取るために専門学校に入らなければならないのですが、その入学が狭き門で、当時の倍率で20倍ほど。推薦入学などないので予備校に通い一から受験勉強する必要があったのです」

 一日8時間以上の猛勉強の末、95年に合格も苦難は続く。

 医療系専門学校とはいえ、1年時は英語や物理を含めた一般科目の履修が必須。そこに基礎医学や解剖学など専門知識の習得が加わる。日中は勉強に追われ、夜と休日は生計と学費捻出のため、複数のバイトを余儀なくされた。しかも30歳で飛び込んだ新天地は10代後半から20代前半の若者ばかり。病院での研修では年下の関係者からぞんざいな扱いを受ける屈辱も味わった。

「僕が元プロ野球選手というのは皆知ってましたが、逆に周囲は『元プロなんて関係ない。甘えるなよ』という感じで。年下の理学療法士からは『研修の新人、そこ全部掃除しておけよ』と偉そうに指示されることもありました。本当に悔しかったです」

 それでも我慢を重ね、98年に元プロ野球選手として初となる理学療法士の国家資格免許を取得。以後は関西の病院で医療技術の習熟に励んだ。並行して近鉄の本拠地・藤井寺球場を訪問。観客席から選手の動作解析や故障の予防研究を独自に試みた。その努力が認められ、99年からはトレーナーとして古巣に「復帰」。2005年からはヤクルトに活躍の場を移し、13年にはチームの守護神だった林昌勇のメジャ―移籍に伴いカブスでもサポート役をこなした。

 現在は東京・世田谷にある病院や大阪の整骨院でスポーツ選手への治療・指導を行う「栗田塾」を開講するかたわら、女子ソフトボールチームのコンディショニングコーチも担当。幅広い分野でアスリートを支え続けている。選手からの信頼も絶大で、一流アスリートが遠方から治療のために栗田さんのもとを来訪することも珍しくない。自身の著書も2冊で計10万部以上の売り上げを誇る。

「最近は野球以外のスポーツ選手を診る機会が増えたおかげで、今までとは違った体の使い方、鍛え方なども見えてきた。そこで得た知識を治療に生かしながら今後は自分が学んだことを後進に伝えていきたい。それがお世話になった人への恩返しにもなりますからね」

 50歳を超えてなお向上心に満ちあふれる栗田さん。プロで輝けなかったぶん、サポート人生に悔いは残さない。

 ☆くりた・さとし 1964年、広島県生まれ。兵庫県立明石高から三菱重工神戸を経て86年ドラフト1位で広島入団。91年近鉄にテスト入団。92年から阪神の打撃投手兼選手として契約し93年に現役引退。98年に理学療法士の国家資格取得。99年から近鉄のトレーナーとしてサポートを始め、2001年に専属契約。05年にヤクルトのフィジカルディレクターに就任。13年からは林昌勇の専属トレーナーとしてカブスに同行。現在は「東京明日佳病院」、大阪「岩崎整骨院」で栗田塾を開催。「豊田自動織機ソフトボール部」コンディショニングコーチ、立正大付属立正高の臨時コーチも務める。著書に「疲れた体がよみがえる リセット7秒ストレッチ」など。プロでの一軍登板なし。身長177センチ。左投げ右打ち。

関連タグ: