引退の巨人・脇谷 苦労人だからこそいいコーチになるはず

2018年09月25日 16時30分

19日に引退会見した脇谷

【赤坂英一 赤ペン】今年で引退する巨人・脇谷亮太はきっといいコーチになると思う。最近、彼ぐらい様々な苦労を経験した生え抜きの人材もほかにいない。球団は来年からでもファームで指導者修業をさせるべきだ。

 社会人のNTT西日本からドラフト5位で入団し、4年目の2009年までは一軍と二軍を行ったり来たり。10年にようやく二塁のレギュラーに定着したかと思いきや、11年は阪神戦の“落球誤審騒動”(ブラゼルの飛球を落としながら直接捕球したとアピールしてアウトと判定される)で悪役扱いされてしまう。

 その年、右手首有鉤骨骨折、右肘靱帯損傷と相次ぐケガに見舞われ、靱帯再建手術を受ける。支配下選手から育成契約に切り替えられ、年俸も大幅ダウン。背番号も23から023に変わった。

「このときはかなり落ち込みました」と脇谷本人に聞いたことがある。

「支配下に戻れるかどうかわからないし、満足な練習もできません。不安とストレスを紛らわせるため、酒に走った時期もありましたね。おかげで体重も一時は70キロから85キロまで増えました」

 脇谷はこのまま終わるのではないかと、首脳陣や球団関係者の見る目も変わりつつあった中で「おれはまだ甘い」と気づかせてくれたのは現役だった高橋監督や小笠原(現中日二軍監督)だ。

「ぼくがリハビリをしていたころ、由伸さんたちもよくファームで調整をしていました。あれほど実績のある人が、練習でも試合でもいつも目一杯やってるんですよ。若手にも積極的に声をかけてね。おれも腐っていてはいけないと思いました」

 その後、必死の努力のかいあって13年に支配下復帰し、一軍再昇格を果たす。この年の開幕戦に8番・二塁でスタメン出場し、決勝の2点タイムリーも打った。が、14年には西武からFA移籍した片岡(現二軍コーチ)の人的補償で、突然西武へ移籍することになる。

 しかし、その年の南郷キャンプで会った脇谷はあくまで前向きだった。

「指名されて西武に来たわけですからね。脇谷を獲ってよかった、と思われるように頑張ります」

 その言葉通り、西武では15年まで2年連続で安定した成績を残し、16年にはFAで巨人復帰。育成時代の背番号023のユニホームは、いまでも大事に保存しているという。これほどの苦労人が後輩に教えられることは少なくないはずだ。