【取材のウラ側 現場ノート】それは2014年のオフのことだった。シーズン中に投げた1球ごとに1000円を積み立てる「杉内基金」の活動の一環で、杉内俊哉さんが大学の付属病院を訪れ、小児医療センターで闘病中の子供たちを慰問。当時はまだ東スポに入社前で、大学で学生記者として活動していた私は、取材をするべく病院へと足を運んだ。

 普段は球場やテレビ中継でしか見ることができない杉内さんの姿を、間近に見られたことだけでも私にとっては衝撃の体験だったが、小さな子供たちと同じ目線になって接したり、保護者や病院スタッフにも丁寧に応対する杉内さんの紳士的な姿は今でも目に焼きついている。

 当時は現中日の松坂大輔投手が日本球界へ復帰したタイミングということもあり「松坂世代」である杉内さんのコメントを求めて病院には数多くの報道陣が集結。学生だった私も生意気ながら囲み取材に参加させてもらった。記者からの質問に穏やかな口調で受け答えする杉内さんの姿は今でも覚えている。この光景に私は「将来は自分も記者になって取材したい」と強く思った。

 この日の取材の中でも特に印象に残っている、杉内さんの粋な計らいがある。イベント終了後、取材に訪れた支援企業の方々と同様、学生の私にもしっかりと取材の時間を用意していただき、一つひとつの質問に丁寧に答えてもらった。

 さらに感銘を受けたのは取材後のこと。私の取材用のカメラを指さした杉内さんは「写真は撮らなくていいの?」とひと言。「ぜひお願いします!」とカメラを向けると、杉内さんの口からは「一緒に撮らなくてもいいの?(笑い)」とまさかの言葉が。緊張で強張った表情で写ったその「ツーショット写真」は今でも私の中の宝物となっている。

 その後、東スポに入社し、晴れて念願の野球記者になった私は現在、日本ハムを担当。残念ながら現役中の杉内さんに取材する機会はなかった。当然、杉内さんが当方のことなど覚えているはずもないだろうが、あのころ夢見ていた記者になれた自分の口から、いつかどこかで直接お礼を言える機会がくればと思う。

(日本ハム担当・熊沢航平)