時代を築いたサウスポーがユニホームを脱ぐ。巨人・杉内俊哉投手(37)が11日までに今季限りでの現役引退を決断したことが分かった。2002年のダイエー(現ソフトバンク)入団以来、中日・松坂らと並ぶ黄金世代の代表選手として球界をけん引。プロ17年間で142勝を積み上げた。しかし15年オフの股関節手術以降、今季まで3シーズンは公式戦登板なし。厳しいリハビリに耐えてきたが、背番号18のマウンド復帰の夢はついにかなわなかった。

 もう一度、光の当たるマウンドへ――。だが、非情な現実がそれを阻んだ。この日までに球団と慎重に話し合いを重ねてきた杉内だったが、苦渋の思いでユニホームを脱ぐ意思を固めた。

 ダイエー、ソフトバンクでは同世代の和田とのダブルエースでパ・リーグを席巻。05年には最多勝(18勝4敗)、最優秀防御率(2・11)の2冠に輝き、リーグMVPと沢村賞を獲得するなど、球界を代表する左腕として長らく君臨した。

 巨人へFA移籍初年度の12年には自身初のノーヒットノーランも達成し、伝統の背番号18に恥じぬ働きでチームの日本一に貢献。14年まで3年連続2桁勝利を記録し、リーグ3連覇の立役者となった。だがその後の4年間は一転、苦闘の連続だった。

 15年シーズン中に古傷の股関節痛が悪化。オフに前例のない大手術に踏み切った。医師からは「手術してもアスリートとしての復帰は難しい」と言われるほどだったが、前年の5億円から4億5000万円ダウン(推定)の史上最大減俸を自ら申し出て現役続行を選択した。

 翌年から長期リハビリ生活に突入したが心は折れず、股関節の故障は見事克服。17年3月のソフトバンクとのオープン戦で元同僚で同世代のライバル・和田と投げ合いを果たすまでに回復した。完全復帰まであと一歩…。だがその直後、左肩が初めての痛みに悲鳴を上げた。

 昨オフの契約更改の席では「僕を待ってくれているファンのため、マウンドに上がりたい。一番は息子も願ってくれているので、もう一度投げている姿を見せたい」。そう意気込んでいたが、痛んだ肩は1年以上が過ぎても元には戻らなかった。

 心が強い左腕だった。股関節手術の直後も、本紙には「息長く、45歳までは投げたい」と熱く語っていた。だが今年春のキャンプで再び未来を尋ねると「できることなら、かな。やりたいと思って続けられる仕事でもないんでね」とトーンが変化していたのは気になっていたところだった。

 それでも必死にリハビリを続ける姿に復活を期待していたのだが…。今月9日には巨人同期入団で、同じ“松坂世代”の盟友である村田(BCリーグ栃木)も現役生活に別れを告げたばかり。球界を照らした栄光の昭和55年世代の灯が、こうも次々と消えていくことには寂しさしかない。