王貞治の痛烈なる青春

2018年08月18日 16時30分

【越智正典 ネット裏】1964年5月5日、後楽園球場での巨人―広島。1回裏、巨人の攻撃。王が打席に向かったとき、カープの先発、両国の日大一高出身の左腕・大羽は「待っていました」と言わんばかりに王を迎えた。二人は中学時代から仲が良かった。

 王は5月20日の誕生日には24歳になるが、5月3日の阪神戦では1試合4打席連続ホームランをかっ飛ばしていた。

 カープナインが右に移動した。一塁手藤井が一塁ベースからうしろに下がり、右翼線上に立った。カープが「王シフト」を敷いたのだ。二塁手阿南が一、二塁間のうしろの芝生の切れ目に移った。ライナーの右前安打が叩きつけられる地点だ。ショートの古葉が二塁ベースをまたいだ。三塁手興津が三塁定位置からゆっくり歩き出し、二塁ベースの少し手前で止まった。スタンドにどよめきが起きた。多くのファンは驚きが青空に突き抜けるまで、何が起きたのかわからなかった。

 もちろん、監督白石の指示である。広島の広陵中の一塁手白石は、36年巨人軍総監督市岡忠男に絶妙のミットさばきを見込まれて入団。巨人第2回渡米遠征でショートにコンバートされ、残暑厳しかった9月はじめ、あの茂林寺の猛練習で巨人第一期黄金時代の名ショートになった。

 戦後は食糧事情からノンプロ植良組にいたが、復帰。ますます名ショートに。トップバッターだったが、ツーストライクを取られるまで打たなかった。ツーストライクから中前にライナーのヒットを放った。何よりも人柄が良かった。みんなに慕われた。

 カープの監督白石は王の猛打を見て、一時でよいから止めたいと思った。昔、クリーブランド・インディアンスの二塁手兼任監督、ルー・ブードローが、テッド・ウィリアムスの猛打に対抗するため“ブードローシフト”で対戦したのを思い出し、東洋工業の友人有志に王の打球を分析してもらったのだ。

 白石は王から目を離さなかったが、驚嘆し、間違いなく球史に名を残す大打者になると確信した。王はバットを出しさえすれば、凡ゴロでも凡フライであってもヒットになる三遊間やレフト前を見向きもしなかった。

 大羽の第1球のシュートボールを引っ張った。ハーフライナーであった。第2打席も引っ張った。王貞治の痛烈な青春であった。そのあとダブルヘッダー第2試合で鵜狩の外角低目を引っ張り、ライトスタンドに年度第18号を叩きつけている。

 このとき王はまだ通算133号、ハンク・アーロンは343本塁打。王はここから通算本塁打755のアーロンを追い抜き、世界新を達成するのである。王は試合後、帰宅しても夜に休む前に素手で猛烈なバットスイングを続けた。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)

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