元ヤクルトの宇佐美康広さん 「道具の大切さ」伝える野球用品店に

2018年08月15日 11時00分

こだわりの野球用品店を営む宇佐美さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】プロ野球選手だったからこそ道具の大切さを伝えたい――。

 現役引退後、この思いを胸に埼玉県戸田市で野球用品店を営む元プロ野球選手がいる。宇佐美康広さん(42)だ。

 1993年に北海道・稚内大谷高からドラフト6位でヤクルト入り。入団当時は「日本最北端出身のプロ野球選手」として脚光を浴び、99年には一軍で15試合に出場した。だが、2000年に戦力外通告を受けて引退。以後は「(野球選手は)野球しかできないと言われたくなかったし、いろいろなことに挑戦したくて」と野球界を離れた。広告代理店勤務やバーテンダーなどを経て、02年末に不動産会社に就職。営業マンとして安定した日々を送っていた。

 平穏な人生に転機が訪れたのは13年。当時小学2年生だった長男が野球を始めたことだった。

「最初は『もう野球はいい』という感じで無関心だったのですが、息子のノックの手伝いやチームでの指導を手助けするうちに親御さんたちの野球への情熱を感じ始めましてね。少年野球を手伝うお父さんたちって一生懸命で勉強熱心。自分たちでユーチューブを見て打撃フォームや投げ方を研究して子供に教えたりもする。そういう姿を見たら元プロ野球選手としては正しい方向に導いてあげたくなりまして。それ以来、会社員をしながら息子の野球チームに携わるようになりました」

 心の奥底に眠っていた野球への思いがよみがえると、胸中にも変化が起きた。サラリーマンとして安定した人生を送るのも悪くはないが、幼少期から長年打ち込んできたことは「野球」。それなら野球に関連した仕事で人生を全うしたほうがいいのではないか。

「そんなことを考えている16年1月に、大工だった父親が67歳で亡くなったんです。僕を含めて4人の子育てと仕事を終え、これから余生を楽しむという時に逝ってしまった。葬式の日、ひつぎに入った父親の顔を見て思いました。『人間いつ死ぬか分からないから、やりたいことを悔いなくやったほうがいい。それなら子供たちに道具を通して野球の楽しさ、魅力を伝える仕事をしたい』と」

 思い立ったら行動は早かった。16年春、14年間勤めた不動産会社を退社。直後から知人の紹介を通じて都内スポーツ用品店で修業に励んだ。メーカーによって微妙に異なるグラブのひも交換に始まり、型付けや締め具合の技術等、野球道具を扱う職人としてのイロハを徹底的に学んだ。そして16年12月に野球用品店「ロクハチ野球工房」をオープン。店名はヤクルト時代の背番号「68」にちなんでつけた。

 創業時から守り続けている経営理念は「道具を大切にすること」。店舗運営を始めて1年半以上がたった今も、この姿勢は変わらない。実際、グラブ購入のために店舗を訪れた小学生に対し、あえて新品グラブの販売を「拒否」。使い古したグラブを1日預かり、メンテナンスを施した上で返却したこともある。

「お金がある大人なら積極的に新品グラブを売りますが、子供にはできる限り長くグラブを使ってもらいたい。グラブをピカピカにして返すと本当に喜んでくれる。売り上げも大事ですが、道具へのありがたみや愛着を感じてほしいですからね」

 今後の夢や目標を聞くと「みんなが野球や道具を通じて笑顔になってくれれば」と宇佐美さん。野球の楽しさを伝える伝道師として今日も店先で笑顔を届ける。

 ☆うさみ・やすひろ 1975年、北海道生まれ。稚内大谷高から93年ドラフト6位でヤクルトに入団。プロでは捕手、内野手としてプレー。2000年の現役引退後は広告代理店勤務等を経て、02年から不動産会社「株式会社セレコーポレーション」に勤務。16年春に退社後、同年12月に「ロクハチ野球工房」をオープン。18年4月からは週1回、神奈川県大和市を拠点とする社会人クラブチーム「BBCスカイホークス」のコーチとして野球指導。東日本大震災で被災した東北地方のリトルシニアチームを支援する「絆甲子園」のプロジェクトリーダーとしても活動中。プロ通算成績は15試合で19打数2安打、打率1割5厘。身長173センチ、右投げ両打ち。