夏の甲子園ヒーロー・板東英二 酷暑の今だから明かす“高校野球残酷物語”

2018年08月08日 11時00分

板東は昔のきつかった練習を振り返った

 猛暑で熱中症が相次ぐなか、6日第4試合では史上初のタイブレークが行われた「第100回全国高校野球選手権大会」。「(開催)時期をズラすべき」「甲子園球場での開催はやめるべき」などの意見は少なくない。だが、高校時代、甲子園で引き分け再試合を経験し、今でも1大会最多奪三振の記録を持つタレント・板東英二(78)は「延長18回なんてラクやった」と断言。それほど練習が厳しく、2日間、意識不明のまま放っておかれたチームメートまでいたという。酷暑の今だから板東が明かした“高校野球残酷物語”とは――。

 1958年夏に行われた第40回大会に徳島商業のエースとして出場した板東は、準々決勝の魚津(富山)戦で18回を完封して0―0の引き分け。この試合で奪った「25」の三振は、いまだに破られない記録だ。翌日の再試合も板東は9回を完投し、3―1で勝利した。

 実は引き分け再試合のルールは、板東が発端となって導入されたもの。同年4月に行われた四国大会で板東は、準決勝で延長16回投げた2日後、決勝も延長25回を完投。これが発端となり「延長18回(現在は15回)で同点なら引き分け再試合」というルールが導入され、板東はそのルールの適用第1号にもなった。

 炎天下の試合を1人で投げ切った板東だが「延長18回も再試合も、練習に比べたらどうってことなかった」と平然と言い切る。当時の練習はそれほど厳しかった。

「徳島商業は朝9時に練習開始。12時にお昼を食べて、午後は1時から、長い時には11時まで。その間、一切水なし。グラウンドの一塁側の方に吉野川があったけど、海に近くて塩水。三塁側は田んぼだけど、農薬まいていて飲んだらすぐ下痢する。唯一飲めたのは、雨が降ってきたらユニホームで受けて、染み込んだ雨水をすするだけ。ほとんど水を飲まずに練習してました」

 当時の板東は教師を目指しており、野球はそれほど好きではなかった。勉強に専念するため、2年の夏の大会後、退部届を出したことも。

「そしたら監督に『立っとけ』と言われてね。炎天下、朝の9時から夕方4時まで立たされて、もうしんどくて監督に『分かりました』と謝った。野球部を辞めることもできないんです(笑い)。センターのヤツなんか、船に乗って逃げたけど、無賃乗船で大阪港で捕まって連れ戻された」

 逃げ出したくなるほど、練習は過酷だった。

「ピッチング練習は、キャッチャーが『ボールが見えません』と言うまで。1日1000球は軽く投げてました。暗くなったらベースランニング。一、二、三塁にロウソクを入れたちょうちんを置いて、ベースを見えるようにして走る。18秒以内じゃないともう1周。その後、山の中にある先輩の家まで2時間くらい走る。先輩がハンコ押してくれて、それを監督に見せてやっと終わるんです」

 行方不明になったチームメートもいたとか。

「走りに行った部員の2人が帰ってこないことがあった。『アイツら、逃げたなあ』なんて言ってたら、2日後に親が来て『息子が帰ってこない』。あわてて捜しにいったら、2人とも谷に落ちて気を失ってた。よく死ななかったですよ」

 そんな練習を経て、3年の夏に甲子園に出場。

「こないだチームメートに怒られたんです。サード守ってた玉置ってヤツに『お前は“1回戦だけ勝って次で負けよう”って言ってたやないか! それが一生懸命投げて、三振ばかり取りやがった』って(笑い)。とにかく野球から早く離れたかったんやね」

 だが、冒頭に記したように、甲子園での試合は炎天下でも「ラクだった」と言う。

「練習では朝から夜中まで水も飲まず投げて、山も走らなアカン。それを毎日やってるから、延長18回に再試合なんてラクでしゃあない。1イニング終わってベンチに帰ったら、氷水飲んでいいんだから。魚津戦はナイターになったから涼しいし。それに悪いけど、相手の打線もラクやった。今と違って越境入学がなくて、能力ある子が他県の高校に行ったりしなかったから」

 今年は日本全国がとてつもない暑さに襲われ「猛暑の中で行われる夏の甲子園はやめるべき」との意見も聞かれる。

「まあ時代が違いますから。僕らはモノを拾って食べてたり、中学までははだしで学校に行ってた時代だから。それに僕らのころは多分、熱中症で倒れた子は途中で野球部を辞めてたんでしょう。今の子と比べたらダメやけど、甲子園の暑さに耐えられる体力をつくる必要はあるでしょうね」

 気候も、人も、時代背景も全てが大きく違った60年前の夏の甲子園。板東の話を聞く限り“残酷物語”と言うほかない。

 ◆大会記録83Kで準優勝=徳島商と魚津の対戦で板東が2試合を投げ切ったのに対し、魚津のエース村椿輝雄投手(後に三菱重工)は再試合に先発せず、4回途中からマウンドに上がった。この大会で板東は初戦で秋田商から17三振、第2戦で八女から15三振を奪い、魚津との2試合で34奪三振。準決勝の作新学院戦でも14三振を奪って決勝に進出するも、山口県の柳井に0―7で敗れた。この試合の3を加えた計83の奪三振は大会記録として残っている。

☆ばんどう・えいじ=1940年4月5日生まれ、旧満州国出身。58年、徳島商業のエースとして第40回全国高校野球選手権に出場し準優勝。同大会で奪った83個の三振は、現在も1大会最多奪三振記録。59年に中日に入団。11年間で435試合に登板し77勝65敗、防御率2.89。オールスター戦に3度出場。引退後、タレントに転身。俳優としても活躍し、90年に映画「あ・うん」でブルーリボン賞助演男優賞などを受賞。2014年には、本社制定の「第23回東京スポーツ映画大賞」と同時開催の「第14回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。