元中日・湊川誠隆さん グッズ製作で才能開花した異色のデザイナー

2018年06月09日 11時00分

デザイナーとして活躍中の湊川さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】「アパレル業界」と「野球界」。一見すると無縁な両者を結びつけながら活躍する「松坂世代」の元プロ野球選手がいる。元中日の湊川誠隆さん(38)。現在、名古屋・栄でセレクトショップ「NEXT THING」を経営しながらデザイナー兼実業家として辣腕を振るっている。

「今から5年前に店を出しました。大学時代は早慶戦で和田(ソフトバンク)と何度も戦いました。プロは短命に終わりましたけど、今となってはそれが良かったかもしれない。人生ってわかりませんね」

 笑顔でこう話す湊川さんだが、歩んできた道のりは平坦ではなかった。

 慶大から2002年ドラフト8位で中日入り。入団当初は巧打と守備を評価され、未来は明るかった。ところが、2年目のオフに戦力外に。現役続行を模索した湊川さんはその後イタリアに渡り「セリエA」でプレー。1年目から好成績を残した。それでも、渡欧当初から「海外でのプレーは成績が良くても2シーズン」と決めていた。大学時代の先輩の紹介で大手広告代理店への就職を薦められたこともあり、06年末に帰国。翌春からは東京でサラリーマン生活を送る手はずを整え、26年の野球人生にピリオドを打つ覚悟を決めた。

 転機はその直後だった。

「07年の年明けに、中日時代の打撃コーチだった川又さん(現評論家)から突然連絡がありまして。『名古屋で社会人チームを作るから手伝ってほしい』と言われたんです。すでに東京での就職を決めていた状況だったのですが、現役時代にお世話になったコーチからの要請。それに、まだ心のどこかで野球を続けたい気持ちがあったのかもしれない。結局、就職を断ってコーチ兼選手で手伝うことにしたのです」

 急転直下の方向転換に迷いはなかった。ただ、社会人チームでのプレーに報酬はない。自らの収入をどう確保すべきか。そんな窮地に声をかけてくれたのが広告代理店への就職をあっせんしてくれた先輩だった。

「もともと僕は現役時代から遊び半分で選手のグッズやTシャツのデザインを手がけていた。先輩はそれを知ってまして。就職を断ったにもかかわらず『某企業のイベントグッズをデザインする企画がある。一緒にやるか』と誘ってくれたんです。そう言ってもらえたことはうれしかったのですが、冷静に考えると、広告代理店とのコラボ企画をするには個人ではやりにくい。それで07年秋に会社を設立したのがデザイナーとしての原点です」

 自身が請け負ったグッズ制作は秘めた才能を開花させた。以後は湊川さんの転身を聞きつけた古巣選手や知人の協力もあり仕事が殺到。デザイナーとして軌道に乗った13年には名古屋・栄3丁目にセレクトショップをオープンした。店舗では自らが考案した「&CD」というブランド商品を中心に、交流を深めた海外デザイナーの商品も取り扱っている。

「店で扱う商品はすべて自分が海外のデザイナーとコンタクトして仕入れたものばかりです。相手の顔を知っている商品しか売らない。それがコンセプトです。最近ではEXILEのATSUSHIクンも僕のブランド商品を使ってくれたりして。感謝しかありません」

 野球への恩返しも忘れてはいない。15年からは中日のジュニアチームを指導。子供たちの育成を続けながら地元テレビ局の野球解説者、複数の野球塾にも携わる日々を送る。

「今の僕があるのは野球を通して出会ったいろいろな人の助けがあったから。だからこそ、今後は自分が仕事や野球を通して周囲を幸せにしていきたい。ここまで苦労したこともたくさんあったので。事業の拡大とかより、まずはそこですね」

 球界から巣立った異色のデザイナーは、おごることなく新境地でまい進し続ける。

 ☆みなとがわ・まさたか 1980年、愛知県生まれ。東邦高から慶大を経て、02年ドラフト8位で中日入団。04年に戦力外。05年にイタリア・セリエA「レッジオ・エミリア」に入団。2年間のプレー後に帰国。07年から社会人クラブチーム「NAGOYA23」に選手兼コーチとして所属。同年秋にファッションブランド「MASSIMONTE」設立。13年に名古屋・栄にセレクトショップ「NEXT THING」をオープン。現在は同店舗に併設した会員制飲食ラウンジも経営する。プロでの一軍公式戦出場経験なし。身長174センチ、右投げ両打ち。