ブラジル初のメジャーリーガーは日本的

2018年05月19日 11時00分

ブラジル出身のゴームズ(ロイター=USA TODAY Sports)
元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【ヤン・ゴームズ捕手(インディアンス)後編】「12歳で米国に渡ったブラジル出身大リーガー第1号、ヤン・ゴームズは「やっぱりサッカーはよく見るよね」と言いつつも、幼いころはブラジルで日本文化の色濃い環境で育った。
 どのくらい日本的かというと「梅干しを知っている(でもまずいと思う)」し「奥さんは日本人のクオーター(元日本人ハーフ大リーガー、アトリー・ハマカー氏の娘ジェナさん)」だし「おすしはカウンターで知らないネタを大将のお任せで頼む」し「日本のミズノとスポンサー契約している」とのこと。

 でも、一番はブラジルの日系人たちが誇りを持って引き継いできた日本の心意気が詰まった野球に触れてきたこと。

「僕が知っているブラジルの野球は規律を重んじ、非常に構造化されたものだった。これがやり方なんだ、というものがあったら、それを1000回繰り返して体に覚え込ませ、できるようになったら次のこと、と進む。センセイの指示で林で1時間木を切りに行ったり、何時間もタイヤへの打ち込みをしたり。しっかりとスイングを身につけるためにってね」

「センセイ」と呼んだコーチたち。道具の手入れや礼儀など、きっちりやるところも好きだった。ブラジルの野球少年たちは、日本のプロ野球に憧れて日々練習に励んでいたそうだ。

「アメリカに来たばかりのころ、学校が長くてびっくりした。ブラジルでは、朝9時から12時までで終わったけど、マイアミでは7時半から15時までとか。ブラジルが変わっているのかな。学校が終わったら、そのあとまたそれぞれ違うことをしに行くんだ。僕の場合はひたすら野球の練習。アカデミーみたいなところで、毎日5~6時間は野球の練習をしていたかな。アメリカは野球シーズンがあるし、週末がメインで、どちらかというと野球をして遊ぶ、楽しむという感覚。カルチャーショックだったよ」

 新しい環境で言語や文化の違いに戸惑う中「野球が本当にすごく助けになった。言葉が分からなくて、目で見つめ合うことしかできなかった友人たちは、野球ができることで早く受け入れてくれたと思う。その後、他のアメリカンスポーツもやるようになった。新しいところになじむ鍵は、互いをいかに早く知るかだと思うんだ。12歳ってちょうど人間的にも転換期というのかな、自分自身を理解しようとしている時でもあるから、野球を通していろんなことがわかったよ」

 ブラジル仕込みの野球は、同年代の子たちからは群を抜いた。

「リトルリーグの世界大会みるとよくわかるよね。日本の選手たちは本当にうまい! 僕は、そんな構築された大人っぽい野球を学ぶことができたから」と謙遜して答えたが、かくしてブラジルの日本野球が海を渡って米国で花を咲かせ、ヤンを大リーグまで導いたのだった。

 2012年ヤンを皮切りにブラジルからメジャーに昇格したのは5人(現役は3人)だが、マイナーリーグも合わせると50人はいるという。

「今は、アメリカスタイルの野球も普及し始めて、スタイルが交ざりつつある。ブラジルの野球が発展しているんだ。WBCは、殿堂入りもしたバリー・ラーキンが監督を務めてくれたんだけど、メジャーでプレーする選手や元選手らの助けなどから、彼らのようになるにはどうしたらいいのかって、考え方が変わってきている」

 日本のプロ野球を目指していた少年たちが大リーグへ行ってしまうのは、日本人としては少し残念な気もするのだが、大リーグがブラジルに目を向け始めたことで、スポーツ推薦で米国の大学へ行けたり、マイナーリーグで米国流の野球を経験できる選手が増えたのはとても画期的なことだと思う。先のWBCではまだ苦戦中だったブラジルが豹変する日は、そう遠くないのかな。

 

 ヤン・ゴームズ 1987年7月19日生まれ。ブラジル・サンパウロ出身。188センチ、97キロ。右投げ右打ち。ポジションは捕手。2009年のドラフトでブルージェイズに入団し、12年にメジャー初昇格。ブラジル初のメジャーリーガーとなった。13年にインディアンスに移籍し、14年にはレギュラーに定着。135試合に出場し、打率2割7分8厘、21本塁打、74打点の成績を残し、捕手としてシルバースラッガー賞に輝いた。昨季までのメジャー6シーズンで74本塁打を放つなど、強打の捕手としてチームを支えている。