球界こぼれ話 広瀬真徳】とうとうやった。いや「成し遂げた」と言ったほうがいいか。

 中日・松坂大輔投手(37)が先月末のDeNA戦で日本復帰後、初勝利を飾った。

 メジャーでの実績を携えて、2014年末に3年総額12億円といわれる巨額契約でソフトバンク入り。だが、日本復帰後3年間での一軍登板は度重なる肩の故障もあり、わずか1試合に終わった。昨オフには福岡を去り、テスト入団で中日へ。松坂の全盛期を知る多くの野球ファンは、この時点で「もう無理だろう」と思ったに違いない。それでも、本人は周囲の雑音をよそにキャンプから黙々と調整を続けて開幕一軍入り。今季3度目の登板で12年ぶりとなる日本での白星をつかんだのである。

 自ら逆境をはねのけ、37歳になった今なお挑戦し続ける。そんな姿に魅了されるファンは多いはずだが、彼の魅力はそれだけではない。プロ野球選手には珍しい人格者であることをご存じだろうか。

 松坂がレッドソックスに移籍した2007年、私は番記者として彼を取材した。当時の彼は西武で輝かしい実績を上げて海を渡ったスーパースター。このクラスの選手なら多少なりとも、おごりやプライドの高さが目につくのがプロ野球界では一般的だ。

 松坂にその「慣例」は当てはまらなかった。取材時には必ず人の目を見て話し、懇切丁寧に答える。自身に対して厳しい質問が及んでも嫌な顔一つ見せない。それどころか、笑みを浮かべながら快く返答する姿も珍しくなかった。

 メジャーから日本球界に復帰した15年の宮崎キャンプでもそうだった。私は取材とあいさつを兼ねて本人を訪ねた。その際「活躍できなかったら厳しい記事を書くからね」と冗談交じりに話したところ、本人は笑顔でこう反応した。

「お互いプロですから当然ですよ。ダメなら何を書いても構いません。僕もそう書かれないよう頑張ります。見ててください」

 残念ながらその後、満足のいく結果を残すことはできなかったが、この受け答えだけでも彼の人柄は理解できるだろう。

 ソフトバンク退団時には周囲から相当なバッシングがあったと聞く。家族や知人からならともかく、今はネットやSNSで見知らぬ人からも叩かれる時代。普通なら、それだけで気がめいる。そんな状況下でも諦めずマウンドに立つことにこだわり続けた。ファンだけではなく選手、報道陣からも愛されるのは当然で、初勝利直後に「400件以上」という祝福メッセージが本人に寄せられたのもうなずける。

 甲子園を沸かせた18歳のころから20年近くたった今も熱い視線が注がれる背番号99。不屈の精神と温和な人柄で前に進む限り「松坂フィーバー」に終わりはない。