小学校中退後13歳で大学チームのエースに!!

2018年02月10日 11時00分

ブルージェイズの若き守護神・オズナ(ロイター=USA TODAY Sports)
元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【ブルージェイズ・ロベルト・オズナ投手(下)】前回に引き続き、12歳で小学校を中退(メキシコの義務教育は中学まで)し、働いて家族を支えながらメジャーリーガーになったロベルト・オズナの話。学校を辞めたきっかけが、リトルリーグの野球大会に出場するためだったなら、彼の運命を変えたのも、その大会だった。そこでの成果が2つの大きな機会をもたらした。

 1つ目はチームが州大会でも優勝し、メキシコ代表として国際試合に出場したこと。「日本へ行って中国など世界各国のチームと対戦して全部勝ったんだよ。大阪、東京など1か月の間に3トーナメントに出て、日本とは決勝戦で2戦、すごく強かったけど、どちらも僕が先発して勝った。イタリア行きのナショナルチームにも選ばれて、プレーしに行ったけど、その時も決勝戦は日本のチームだった」

 国際大会に行く時、チームから、いくらかお金をもらった。おそらく現地での生活費用に支給されたものだが、ロベルトにとっては野球で初めて稼いだ大金になった。

「日本の時は600ドルだったかな? お金をもらえるのは本当にうれしかった。もらった瞬間に母に全部渡したよ。イタリアに行った時は1か月近くいたのに生活費を100ドルしか持って行かなかったから、足りなくて困ったけどね。家族にも電話するお金はなかったから、自分の行動、何をして何を食べたって全部ノートに記録して、戻った時に母に渡したんだ」

 2つ目は、地元ロスモチスから車で約3時間の都市クリアカンの大学チームにスカウトされ、選手として雇われたこと。「僕の国では野球は本当にビッグで、いい選手がいると、お金を払って自分のチームでプレーさせようとするんだ。オーナーたちがプライドをかけて戦っているから」

 13歳で、18~20歳の大学生のチームにエースとして出場し始めた。この時で時速88マイル(約142キロ)の球を投げていたという。
「『ネイメ・チャプレ』っていう大学チームで、毎週土曜に移動して、日曜に2試合して地元に帰って、また週末に向けて練習する生活。200ドルくれたから、当時の僕の家族にとっては大きなお金だった」。野球が家族を支えるツールになった。

 その後は2011年、16歳でメキシコリーグデビュー。その年の8月にはブルージェイズと契約した。余談だが、ロベルトの150万ドルの契約金のうち75%がメキシコリーグに渡っている。父ロベルトさんは現役時代、ブルワーズからオファーが来た時、メキシコリーグとの折り合いがつかなくて破談になったそうだ。

 あの時、小学校を辞めていなかったら…。

「考えたことないんだ。僕はどこかでいつか大リーグに行けるって自信があって、あの時はまだ幼かったけど、パーフェクトなタイミングだと思ったんだ。将来どうするんだって、たくさんの人に言われたけど、家族は『お前の夢なんだから、つかみに行きなさい。そこにたどりつかなくても、私たちはあなたのそばにいるから。私たちは今やりたいこと全てできる状況にないけど、あなたの夢を応援することはできるから。学校を辞めて、自分で自分の運命をコントロールしなさい』と」

「ビッグガイ(大物)になりたいんだ。家族を支え、頼れる存在に」と言うロベルトは、少なくとも私が知っている中では、最も偉大な22歳だ。

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