元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【ブルージェイズ・ロベルト・オズナ投手(上)】小学校を中退したメジャーリーガーの話を知っているだろうか?

 ブルージェイズの若きクローザー、ロベルト・オズナ。彼の父(同じくロベルトさん)は、メキシコリーグで22年間プレー、様々な記録を打ち立て、殿堂入りも果たしたすごい選手である。

 その息子であるロベルトが「うちに十分なお金がなかったから、小学校を辞めなければならなかったんだ。学校を辞めて、父と一緒に畑で働いていたよ。12歳の時に野球でお金をもらってイタリアへ行ったんだ。日本へも行ったよ。幼いころ、少しでもお金を持って帰ろうと、家族のサポートになろうと何でもやったんだ」と、まるで天気の話でもするかのように当たり前に語りだした。見た目は若いが、一瞬にして人生経験の豊富さを物語る大人びた雰囲気の彼は、一つひとつ丁寧に人生をひもといてくれた。

 メキシコのロスモチスという小さな町で育った。父は決して浪費家だったわけではない。

「選手時代、父はそこそこいい稼ぎをもらっていたけど、メキシコの選手の給料は、将来を支えていくには足りないほどしかもらえない。父には兄弟がたくさんいて、野球で稼いだお金で両親や兄弟もサポートしなければならなかった。僕らが大きくなるころには野球も辞めていて、もうお金がなかったんだ。父が選手を辞めたのは僕が7歳の時だったかな。12歳になる時にはお金は底をついていたよ。父にとってはすごくつらい日々で、自分が思い描いていた生活を自分の子供たちにあげられないことをすごく悲しんでいて、僕はそんな父を見るのがすごく悲しかった。だから何かしなければ、父が自分の誇りを取り戻せるように何かしなければって」

 野球を引退した父は畑仕事に就いた。朝4時半に起床後、すぐにバス停へ向かい、同じ日雇い労働者らとバスに揺られ、畑に着いたら5時過ぎには作業を開始。夕方4時半までひたすら働いて得られたのは15ドルほどだった。

「当時の生活費は週200ドルくらいだったかな。双子の弟たちがまだ2歳で、米国に比べたらメキシコの生活費は安いけど、お金を稼ぐことが大変だった。父は畑仕事から帰ったら野球のコーチもしていたよ」

 それだけ父が頑張っても朝食さえままならずに登校しなければならない生活が、ロベルトにはどうしても理解できなかった。

「僕にとって長時間学校で過ごすのはつまらなかった。好きじゃないからあまり理解もできなかったし、あまり聞いていなかったし、興味もなかった。学校で習ったことを使う仕事をするつもりがなかったし、早くお金を稼ぎたかった」

 だからといって、自ら学校を辞めようと思ったわけではない。

「リトルリーグでトーナメントがあって、地元から2時間くらいのところだったんだけど、学校が許可を出してくれなかったんだ。僕の成績が悪かったから、行っちゃダメって。父にその話をして、でも行きたいんだって言ったら、父が『わかったよ』って。『つまり学校を辞めるしかないな』って。そんなこともあって学校を辞めて参加した大会で、僕らが強豪のチャンピオンチームを破って優勝したんだ」

 この時点で12歳。彼が野球でお金を稼ぎ始めるまでにそう長くはかからなかった。

☆ロベルト・オズナ 1995年2月7日生まれ。メキシコ・シナロア州出身。22歳。188センチ、104キロ。右投げ右打ち。2011年にブルージェイズに入団。15年4月8日のヤンキース戦でデビュー。同年6月22日のレイズ戦で初セーブを挙げ、以降は最速160キロの速球を武器に守護神に定着する。17年は66試合に登板し、3勝4敗39セーブ、防御率3.38の成績を残し、オールスター戦に初選出された。