ヤンキース ハイメ・ガルシア苦悩の日々

2017年08月20日 11時00分

ガルシアは途中加入したヤンキースでも先発枠に入っている(ロイター=USA TODAY Sports)

【青池奈津子のメジャー通信】「泣いたけど、僕には夢があった。僕にはビジョンがあった。早く大人になった。男になったんだ」。メジャーリーグで忘れられない出会い…と聞かれたら私は必ず彼の名前を挙げるだろう。

 前回に引き続き、メキシコ出身の投手、ハイメ・ガルシアの物語。彼は12年前、米国・テキサス州の高校に越境留学し、カージナルスからドラフト22巡目で指名を受けるも、その直前に左ヒジ靱帯を損傷し、絶望的になりながらも何とか「お試し」で契約を結べた。

「大して有望株でもない自分は、治療やリハビリはしてもらえない。パフォーマンスも良くなければ、すぐクビになる。高校も卒業せぬままプロ入りしたから、野球がなくなったら自分には何もない」

 トミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)が必要なほどだ。尋常ではない痛みを抱えて追い込まれたハイメが、その時から2008年夏にメジャーデビューするまで取った行動は「ひたすら痛みに耐え続ける」ことだった。
「他に選択肢はなかったから、毎朝起きたらランニングして、とにかく必死に練習した。毎日祈って、自分でリハビリし、痛みに耐えた。痛みに耐えるべきでない年で、痛みに耐えていたかもしれない。水風呂と温かい風呂に交互に入ったり、痛みの中で投げることを覚え、猛烈にトレーニングした。中でも走ることが自分には、たくさんの良いことをもたらしてくれたと思っている」

 正式なリハビリや手術なしで、自らに課した厳しいトレーニングで日に日にタフになり、わずが2年半でメジャーにたどり着いた。その間、ヒジの痛みを家族にさえも漏らさずに耐えたと聞いて、私は言葉が出なかった。
「早く大人になることを学んだんだ。男らしく、自分の行動に責任を取るということ。痛いんだったら何とかしろってね。自分を悲劇のヒーローに仕立て上げ(犠牲者ぶって)他人のせいにしながら『僕の腕が諦めたんだ、僕じゃない』と言うつもりはなかった。これがやりたいことだったから、そこに向かうだけ」。つらい時は、ノートに書きなぐった。だから今でも彼の趣味の一つは物を書くことだ。

 08年はメジャーで主に救援で10試合に登板し、シーズン終了後にトミー・ジョン手術を受けた。「さすがに、もう痛みに耐えられなかった。いずれは必要な手術だったからね。09年は棒に振ったけど、10年には何でもなかった投手からナ・リーグでも好成績を残した一人になったんだよ」

 10、11年は2年連続で13勝を挙げ、11年にはワールドシリーズ優勝メンバーの一人にもなった。だが…。
「実は10年のシーズン終盤に、ヒジをやってしまったことと同じケガを左肩にも負ってしまった。それで、また誰にも言わず投げ続け、その3年後に手術を受けたんだ」 =つづく=

 ハイメ・ガルシア 1986年7月8日生まれ。31歳。メキシコ出身。188センチ、98キロ。左投げ左打ち。2005年のドラフト22巡目で指名されたカージナルスに入団。08年7月11日のパイレーツ戦でメジャーデビュー。同年9月にトミー・ジョン手術を受ける。10年に先発枠に定着し、翌11年と2年連続で13勝をマーク。その後は故障に悩まされたが、15年から2年連続で2桁勝利を挙げた。昨オフにトレードでブレーブスに移籍。今年7月24日にトレードでツインズに移籍するも、1試合に投げて1勝しただけで同30日にトレードでヤンキースに移籍した。

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