元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【フリオ・タラン投手(ブレーブス)】野球大国ベネズエラの隣国、コロンビア出身のメジャーリーガーは延べ20人しかいない。そのうち現役はたった3人。

「コロンビアの一番のスポーツはサッカーだからね。ほとんどの子供たちは最初のスポーツがサッカーじゃないかな。サッカー場はたくさんあるのに、野球場はほとんどない。米国にはそこら中にあるのにね」

 コロンビアの海岸の町・カルタヘナの誇り、ブレーブスのエース、フリオ・タラン。「コロンビアは以前、危険な国だとされてきたけど今はだいぶ違う。美しいものや見どころがたくさんあるよ」と母国をいとおしそうに話す。彼がサッカー選手でなく野球選手になれたのは、叔父ミゲールさんの存在が大きいそうだ。

「うちは叔父を始め、家族みんな野球が好きなんだ。初めて野球場へ連れていかれたのは5歳のとき。1つ上のいとこがリトルリーグの試合に出ていてスタンドから皆と一緒に応援していたんだ。その時に『あっち側に行きたい! 拍手するよりされたい!』って言ったら、叔父が『よーし、野球やるか』って、初めてのグラブを買ってくれたんだ。『グラブはこっちに着けろ。球はこうやって投げるんだ』と一つひとつ教えてくれて…。叔父が投手だったから僕も投手。ずっと投球を教わってきた。とても大切な思い出だよ」

 ミゲールさん自身も、実は以前カージナルス傘下のマイナーチームの選手だった。「叔父は1Aまで。3年ぐらいで地元が恋しくなって帰ってきちゃったんだ。もっと長くやっていたらメジャーリーグにも行けたかもしれないけど、家族から離れて暮らすのに疲れてしまったんだって」

 ミゲールさんは地元に戻り、野球チームのコーチとして息子やおいっ子を指導するかたわら、ブレーブスのスカウトになった。

 月日が流れ、フリオが14歳になったころ、環境が変わり始める。「それまでは楽しいだけが理由で野球をしてきたけど、いろいろな人が僕に興味を持ちだしてくれて。何も知らない僕に『野球をキャリアにできるかもしれない。野球で家族をサポートできるようになるぞ』と、叔父が本腰を入れて指導し始めたんだ。マインドセット(自分の考え方の基本的な枠組み)がメジャーリーガーになろうってなったのはそれからかな」

 結果、16歳でブレーブスとフリーエージェント契約。通っていた学校を卒業するのにあと1年必要だったが、自分の人生を野球に、夢にささげたいと、学業を中断するのを嫌がる母親を説得してプロ入りした。そこからわずか3年強の2011年5月にメジャーデビュー。14年から4年連続で開幕投手を務めるほどに成長した。しかし、そこまでには、たくさんの苦労があった。=次回に続く=

 ☆フリオ・タラン 1991年6月27日生まれ。25歳。コロンビア・ボリーバル県カルタヘナ出身。右投げ右打ち。188センチ、79キロ。2007年にアマチュアFAでブレーブスと契約。11年5月7日のフィリーズ戦でメジャーデビュー。13年から先発枠に定着。同年に14勝をマークして頭角を現し、翌14年も14勝を挙げ、エース格へと急成長。14、16年には球宴にも選出された。今年3月の第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にコロンビア代表として参加した。