元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」
【エンリケ・ヘルナンデス(プエルトリコ代表)、アイク・デービス(イスラエル代表)】WBC後日談――。大会終了後、アリゾナのドジャースキャンプ地に着くと、クラブハウスでプエルトリコ代表のエンリケ・ヘルナンデスが米記者に囲まれて母国で行われた準優勝パレードの話をしていた。

「勝ち負けは関係なかった。一丸となって応援してくれた人たちに応えたい。そんな思いだったんだ。WBCで勝ち進んだことで多くの人が希望を持ってくれたこと、期間中だけでも犯罪が激減したこと、野球がこんなふうに人々を一つにできたって大きな意味があると思うんだ。(参加できて)本当に光栄だったよ。僕はスプリングトレーニングがあったから行けなかったけど、両親が参加して、母から『すごい人だよ。すごい歓迎ぶりだよ』って興奮した様子で電話をもらって。雨の中で。聞いていて僕もすごく感動した。ジョーンズにはわからないんだよ、彼の言ったことはどうでもいい」

 少し声を震わせながら大会を振り返るキケの言葉に、朝から目頭が熱くなった。国は違えど、母国を思う気持ちやプライドは共通する、と今大会をそばで見ていて一番大きく感じたことだった(米代表アダム・ジョーンズは優勝スピーチでプエルトリコが決勝前からパレードや優勝Tシャツを用意していたことが気に食わなかった、と話し、大批判を受けている)。

 米国人ながらもイスラエル代表チームに参加したアイク・デービスは「やるべきことだと感じたから参加したよ。誰もユダヤ人のスポーツについて話さない。ユダヤ人は、金だとか宝石ビジネスには強いって話にはなっても良いアスリートがいるって話になったことがない。だったらやってやろうじゃんって。(反応は)喜んでくれる人もいれば、イスラエル出身でもない僕らがどうしてイスラエルのためにプレーしているのかわからないって人もいた。あっちでは野球を知らない人も多いしね。WBCって、実は出身国でないチームのために出場している選手が多いってことを知らない人たちがたくさんいる。先祖がそこにあるから出場しているんだって、お母さん、お父さん、祖父母のためにって。WBCはそれをさせてくれる」。

 当然、チームは勝つためにプレーしたが、それ以上にイスラエルに野球の芽を吹かすことを大きなモチベーションとしていた。選手たちは大会前にイスラエルを訪れることが参加の条件で資金集めにも協力し、大きな成果を上げた。懐疑的だったメディアも、終わるころにはかなり良好なものへと変化した。

「僕ね、最初はあまり深く考えずにというか、何を期待したらいいかもわからずに参加したんだけど、終わってみたら、これがどんなに楽しい経験だったかを自覚したよ。トップの選手たちが、世界中の国のために戦うって、野球にとっても素晴らしいことだと思った。米国で始まったこのゲームが、グローバル化している実感があった。今まであまり野球に興味がなかった国から将来、野球の殿堂に入る選手が出るための足がかりになれたかもしれないって思えたよ」

 そして最後に彼はこう言った。「自分たちのやろうとしていることをすぐに理解されなくても、きっと時間がたてば、ネガティブなことは忘れてポジティブな結果だけを覚えてくれるようになるだろうってずっと思っていた。野球はいつもそうだから」。そう締めくくったアイクの言葉が妙に胸に突き刺さった。

 さあ、シーズン開幕。真剣に見るがあまり、つい批判的になったり、懐疑的な見方をしてしまうこともあるが、楽しむことを忘れたくない。WBCのように残るのはポジティブなことだけだから――。

 ☆エンリケ・ヘルナンデス=1991年8月24日生まれ。25歳。プエルトリコのトア・バハ出身。身長180センチ、体重77キロ。右投げ右打ち。2009年のドラフトで指名されたアストロズに入団。14年7月1日のマリナーズ戦でメジャーデビュー。その後、マーリンズを経て現在はドジャースでプレー。遊撃、二塁、外野の守備もこなすユーティリティープレーヤーだが、近年は左翼手として定着。愛称は「キケ」。

 ☆アイク・デービス=1987年3月22日生まれ。30歳。米ミネソタ州出身。身長193センチ、体重104キロ。左投げ左打ち。内野手(一塁手)。2010年4月19日のカブス戦でメジャーデビュー。パイレーツ、アスレチックスなどを渡り歩き、17年1月にドジャースとマイナー契約。実父は89年にヤクルトで投手としてプレーしたロン・デービス氏。