元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【カルロス・ゴメス外野手(アストロズ)】「部屋に帰って鏡を見るといつも勝手に泣けてきた」

 メジャーリーガーへの夢を抱き2002年、16歳で家を出て、ドミニカ共和国から一人、米国にやってきたカルロス・ゴメスの1年目。若い上に、英語が話せないことによる疎外感。ドミニカに帰りたい…家族に会いたい…。「当時、父は配達屋、母は工場勤務。ここで6万ドル(約615万円)の契約金が入ったら、家族を助けられる。僕もプロとして好きな野球ができる。選択肢は明らかだった」

 今年のドラフト全体1位指名の高校生ミッキー・モニアックの契約ボーナス610万ドル(約6億3000万円)に比べたら2桁も違う金額だが、16歳の少年にとっては夢のような大金だった。「今すぐ生活を変えられる」。そう考えた彼はメジャー行きを反対していた母を懸命に説得した。「そもそも、母は僕が野球をやること自体、反対だったんだ。学業の方が大事だからって、いつも『学校、学校、学校!』って口すっぱく言われてさ。ちゃんと勉強することを条件に野球をやらせてもらっていたから、そんなチャンスが来た時も『あなただけが希望なのよ。今、6万ドルもらって、少しは楽になるかもしれないけど、その後どうするの?』って。僕の夢は野球選手。どうか挑戦させてほしいって必死に話して、ようやく行かせてもらうことになった」

 マイナーリーガーの生活は過酷である。給料はほとんど出ず、カルロスの場合も週に食費として支払われる100ドル(約1万円)でなんとかやりくりする生活。ボーナスは家族のためだから使えない。米国のファミリーレストランで、普通に頼もうと思うと20ドル(約2000円)近くかかってしまう。言葉も話せないから、写真に載っているメニューしか頼めない。渡米してから1か月以上もの間、カルロスはファストフード店で4・99ドル(約500円)のチキンセットか5・99ドル(約600円)のピザしか頼まなかったそうだ。

「泣いてなんていられないんだけど、家族との時間を逃しているって思いはいつまでたっても消えなかった」

 寂しさを糧に野球に取り組み、メッツの一員として当時のナ・リーグでは最年少21歳でメジャーデビューしたカルロスが次にしたことは、以前よりも増したサラリーを使っての裕福な生活ではなかった。ドミニカ共和国にいた彼女にプロポーズしたのだ。妻ジャランディーさんは、年が1つ下のカルロスの幼なじみ。地元で育ち、いつも一緒にいることが当たり前だった彼女に「これで君を養える」とプロポーズしたのだ。

「ドミニカの女性は、男を王様のように扱ってくれるよ」とうれしそうに語るカルロス。「家族が一番大事。僕は素晴らしい人生をいただいているよ」。今は野球に集中して、引退したら自伝本を出版し、3人の息子と時間を過ごすのを楽しみにしている。

 ☆カルロス・ゴメス 1985年12月4日生まれ。30歳。ドミニカ共和国サンティアゴ州出身。193センチ、95キロ。右投げ右打ち。2002年7月、ドラフト外でメッツ入団。07年5月13日のブルワーズ戦でメジャーデビューを果たす。08年の開幕前にトレードでツインズに移籍すると開幕戦から中堅のレギュラーとして起用され、33盗塁をマーク。規定打席もクリアする。ブルワーズに在籍した13年は24本塁打、40盗塁、14年は23本塁打、34盗塁と俊足巧打でチームをけん引。14年はオールスター戦にも出場する。15年7月、トレードでアストロズに移籍する。