元局アナ 青池奈津子「メジャー オフ通信」

 前回に続き、ドミニカ共和国で育ちながらも、16歳まで野球に取り組む機会がなかったネルソン・クルーズの“超遅咲き半生”をお届けしたい。

 教師だった両親の厳格な教育方針によって幼いころから叔父や祖父の仕事を手伝い、なかなか外で遊ぶ時間もなかった。しかし高校対抗のソフトボール大会で転機が訪れた。

「ホームランを打ったんだ。すると皆が『なぜ、野球をやらないんだ?』と口を揃えた。それで僕もやろうかなって思った時、毎週日曜日に自分の周りの仲間内で草野球をやるチームがちょうどいいタイミングでできた。そこに参加するようになったんだよ」

 やるとなったら没頭する性格。「同年代の友人たちが、すでにたくさんトレーニングを積んでいたから焦ったよ。山でダッシュしたり、ひたすら投げたり…。バッティングで時折、近所の屋根にボールを飛ばしちゃったこともあったね。だから隠れて、少ししてからまた練習していたよ」

 必死になって打ち込んだ練習によってネルソンは自らの中に眠っていた野球の才能を呼び覚ますことになる。なんと野球を始めてからたった7か月でメッツのスカウトがネルソンの類いまれな評判を聞き付けて「契約しないか」とアマチュア・フリーエージェントのオファーをかけてきたのだ。

 運命というのは、どこでどう転ぶか本当に分からない。押しも押されもせぬMLBのスーパースターとなったネルソンは今、自分を厳しく育ててくれた両親に感謝の気持ちを忘れずに抱き続けているという。

「子供のころ、厳しい両親に腹が立ったこともあったんだ。『なんで外で遊ばせてくれないんだ!』って文句を言ったこともあった。教師を親に持つと、ほんとに楽しくないんだよ。髪形ひとつだって変えさせてくれない。『“きちんとしなさい!”と言っている自分の息子が変な髪形をしていたら言えないだろう』って言われ、いつも五分刈りにされていたんだ。でも、子供はその時のことしか分からないからね。将来のことにまで頭が回るわけがない。だから今では両親にすごく感謝しているんだ。できることなら、自分の子供も同じように育てたいけど…。でも今と昔は時代が違うからね。とはいえ、息子のジュニアには『人生はそんなに甘くないんだぞ』って口酸っぱく伝えているよ」

 厳格な両親のもとで、その教えをきちんと守り抜き、何事に対しても一生懸命に努力を払いながらメジャーの世界で人もうらやむほどの大成功を収めた。日本流に評すれば「猪突猛進」という言葉がピッタリのネルソンに、2016年シーズンも注目したい。