【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「子供たちのお手本となること。インスパイアしたり、モチベーションを上げたり、ラブを感じてもらって笑顔にすること。それが僕の生きる目的であり、今ここに存在する理由。だからあちこち旅をさせてもらうんだろうし、地球上にいるうちは良いことをしたいと思う」

 そう言った時のティム・アンダーソンのやたら優しい瞳が、今でもはっきり思い出せるくらい印象的だった。その時は、心に何が引っかかったのか分からなかったのだが、彼について追ううちに優しさの奥に潜む彼が乗り越えてきた数々の痛みが映し出されていたのかもしれないと思うようになった。

 ティムの実母はティムが生まれた時すでに4人の子供を一人で育てていて、自分が育てるのは難しいと姉妹のルシールさん夫婦に息子を託した。実父はティムが生まれるひと月前に薬物犯罪で投獄、刑期は188か月。

 生まれながらに人より複雑な事情を抱えたティムをなんとか真っすぐ育てたい、と願った周りの大人たちの配慮や愛がたくさんあったのではないかと思う。

 ティムは、ルシールさんを「ママ」、夫のロジャーさんを「パパ」と呼ぶが、16歳になるまでガラス越しでしか会わなかった父ティムさんとも親子としての絆を持っている。

 祖父ジョージさんが、週末に機会を見つけてはティムを面会に連れていったのだ。片道2時間のドライブ中、祖父は父ティムさんの生い立ち、スポーツに優れ、野球選手だったことや音楽が好きでジャズバンドのドラマーだった話などを聞かせた。

 幼いころのティムは、とにかくシャイで物静かだったそうだ。大リーガーになるなど夢にも思っておらず「ストリートや悪いことを遠ざけるために、スポーツをやっていた」と言う。当時は(今もかもしれないが)バスケットボールのほうが好きだった。

 あるインタビュー記事の「ティムには幼いころから、精神的に多くのことがふりかかった。実の父も母もそばにいない理由を考えたって分からない。知りたいけど、知りたくない。そんな年月を過ごし、自ら乗り越えて、私を愛している、一緒に新しい人生をつくっていけると言える息子。彼は私のやったことを一度も責めたことがないんだ。そんな素晴らしい人間に育った彼に敬意を示したい」と父ティムさんのコメントを読んだ時、「愛を選ぶ人生を伝えたいんだ」と言っていたティムの言葉を思い出した。

 ティムの話はここで終わらない。

 ようやくさまざまなことが軌道に乗り始めた2016年シーズン中、ティムは親友のブランデン・モスさんがバーのケンカの仲裁に入り、数発の銃撃を受け殺害された知らせを受ける。互いの子供たちの後見人になるほど信頼している親友の死…ティムはどれほどの痛みがあったかは語らなかったが、その出来事がきっかけでチャリティー団体「アンダーソンズ・リー・オブ・リーダーズ」を設立した。

 地元アラバマ州とシカゴで、新学期ヘアカットドライブ(無料のヘアカットおよび物資の配給)、ターキードライブ(感謝祭のメインディッシュ配給)、野球教室、親友の名をつけた奨学金制度など、コミュニティーに根付いた活動を続けている。「子供たちが銃や暴力の被害に遭わないように。子供が子供でいられるように。僕は早く成長しなければならなかった。親友は人のために尽くすのが好きだったから、僕がその遺志を受け継いで愛を広げていきたいと思うんだ」

 ☆ティム・アンダーソン 1993年6月23日生まれ。29歳。右投げ右打ちの遊撃手。185センチ、83キロ。2013年のMLBドラフト1巡目(全体17位)でホワイトソックスから指名されプロ入り。16年にメジャーデビューし、99試合で打率2割8分3厘、9本塁打、30打点。以降レギュラーとして定着し、18年は20本塁打、26盗塁、19年は打率3割3分5厘をマークした。20年シルバースラッガー賞(遊撃手)。21年にオールスターに初出場。今年の球宴にも2年連続で出場した。