元局アナ 青池奈津子「メジャー 通信」

【アンソニー・レッカー捕手(メッツ)】「僕の人生の最初の8年間、母はシングルマザーだったんだ」

 ハキハキと明るく話し、とてもポジティブなオーラを放つメッツの捕手、アンソニー・レッカーが教えてくれた彼の生い立ち――。

「犬のブランディと僕と母。とても質素だったけど、母は僕らを女手ひとつでよく育て上げたと思うよ。スポーツに勉強、しっかり宿題をしているかって目を配っていたからトラブルとは無縁だった」

 母のアリーシャさんはアンソニーが生まれてから半年ほどで、当時の夫と離婚。幼いころに2~3度会ったことのある“母の元夫”はいろんなトラブルを起こし、刑務所を出たり入ったりするようになってしまった。

「それ以来、もう会っていないんだ。母は良い人生を送ろうと随分早く彼を家から追い出したけど、僕はそのことをとても感謝している。あのまま一緒にいたら、きっとつらい思いをいっぱいしただろうからね」

 保険会社で秘書業務をしながら、8歳まで1人で息子を育てたアリーシャさん。

「毎朝、僕を託児所に届けてから仕事へ。託児所の人たちが僕の学校の送り迎えをしてくれたんだけど、夕方5時になると迎えに来て帰ったらちゃんと夕食を作ってくれた。僕と母は仲が良くて、近所にいとこたちも住んでいたからさびしいと感じたことはあまりなかったよ。8歳の時に今の父と再婚したんだ。また素晴らしい人で、幼いころの自分の人生にちゃんと父親との思い出を作ってくれた。彼のおかげでさらにスポーツを頑張るようになったんだ」

 アンソニーはメジャーデビューまでにマイナー生活6年と選手としては遅咲きである。野球能力以上に試される精神力、その強さは母のアリーシャさん譲りではないだろうか。

「そうだね。つらかった時、他にもたくさんの人たちが力を貸してくれたけど、一番支えになってくれたのは母親だった。もともと、プロのアスリートになれるなんて思ってもいなかった。法学部に入って弁護士を目指したいな、と思っていたし、メジャーに上がれずにいる時、FBIに入ろうか、と友人と話していたこともあるよ。勉強が好きだったわけではないけど、母親が勉強するように仕向けてくれたおかげで、野球がダメになっても大丈夫、なんとかなる、って不安を感じたことは一度もないんだ」

 そんなアンソニーと新妻ケリーさんの間に待望の第1子・カムデン君が昨年末に誕生。今春のキャンプイン時に「今年はいつもと気持ちの入り方が違う。息子のためにしっかりと稼いで、いい見本にならなきゃって思うからね」とコメントしていた。アンソニーは、きっと良い父親になるんだろうな、という気がしている。

 ☆アンソニー・レッカー 1983年8月29日生まれ。31歳。米ペンシルベニア州アレンタウン出身。188センチ、108キロ。右投げ右打ち。2005年のドラフトで指名されたアスレチックスに入団。11年8月25日のヤンキース戦でメジャーデビューを果たす。12年にカブスへトレード移籍し、13年からメッツでプレー。14年は自己最多の58試合に出場し、7本塁打27打点をマークした。俳優のジム・キャリーに似ていることから、メッツファンやチームメートの一部の間で「キャリー」の愛称で呼ばれている。