【大下剛史 熱血球論】8年ぶりに古巣復帰した広島・黒田博樹投手(40)が29日のヤクルト戦(マツダ)で、2740日ぶりに日本球界で白星を手にした。マウンドに上がった黒田の姿を見て、ふと16年前を思い出した。広島の球団創設50周年にあたる1999年の4月6日、旧広島市民球場での阪神戦に先発したのが、若き背番号15だった。

 その日は黒田でなければならなかった。入団3年目で前年は1勝のみ。それでも当時ヘッドコーチを務めていた私と達川監督、大野投手コーチの話し合いで「将来のカープを背負う男」として、記念すべき年の本拠地開幕戦を黒田に託そうと決めた。その影響からミンチー、菊地原、レイノソの先発で臨んだナゴヤドームでの開幕カードで中日に3連敗したが、黒田は重苦しいムードをも吹き飛ばし、地元ファンに勝利をもたらした。

 同年こそ5勝にとどまったが、翌年から9勝、12勝、10勝、13勝と勝ち星を重ね、エースへの階段を駆け上がっていった。海の向こうでもドジャース、ヤンキースという米球界を代表する名門チームを背負った。そして周知の通り、メジャー球団からの高額オファーを蹴って、自身が育った古巣へ帰ってきた。その雄姿を一目見ようと球場に詰め掛けたファンは3万1540人。NHKの朝のニュースでも「いよいよ黒田投手が登板します」と伝えていた。もはやその一挙手一投足が国民的関心事になっているといってもいい。

 そんな重圧の中で期待通り、いや期待以上のピッチングを見せた。投球術はもとより7年間のメジャー生活で培ったタフな精神力は「あっぱれ」のひと言だ。おまけに、めったに拝むことのできない二塁打まで打った。だいぶ力んでいたようにも見受けられたが、次戦からは落ち着いて投げられるだろう。

 この日は7回、96球を投げて降板した。100球をメドに中5日で登板することを考えれば、そう完投は望めない。昔から打線の援護に恵まれない黒田がマウンドを降りた後の継投をどうするかというチームとしての課題はあるが、今日ばかりは辛口評論を遠慮させてもらう。それが黒田に対する礼儀というものだ。(本紙専属評論家)