【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=エンゼルスのテレビ解説者ホセ・モタ氏(2)】1997年3月、エクスポズのスプリングトレーニング地。試合後のクールダウンのランニング中に、ひそかに大泣きしていた選手がいた。

「長い旅路の終わりだなって感じた。これが正しい選択だとも。大リーグでもっとプレーしたかったという無念や悲しみと同時に安堵感。自分に選択する機会をくれた神様に対する感謝。そういった感情が渦巻いて、涙が滝のようにあふれてきたんだ。もうだめだ、これで終わりだって」

 ホセ・モタさんが一つ目の人生に見切りをつけた瞬間だ。

 今やエンゼルスのテレビ中継の顔の一人として、力強くポジティブな放送を繰り広げるホセさんは、32歳までは現役のプロ野球選手だった。

 ドミニカ共和国で生まれ、長年大リーグで活躍した父の関係で両国を行き来する生活を過ごし、野球の奨学金をもらって強豪揃いの南カリフォルニア大学フーラトン校へ入学。大学の全国大会にも出場し、20歳の時にホワイトソックスのドラフト2位指名を受け(当時の大リーグは大学生もドラフト対象)、1985年にプロ入り。

「ただ、プレーする間もなく、いきなりレンジャーズへトレードされたところから僕のプロ生活は始まったんだけどね」

 その後もトレードでドジャース、アスレチックスとマイナーリーグを渡り歩き、6年後の91年にパドレスで二塁手としてデビュー。その年は17試合に出場したが、再び大リーグの球場に呼ばれたのは4年後の95年、ロイヤルズ在籍時だった。

「当時の監督が、僕の子供時代のヒーローでもあった元エンゼルスのキャッチャーのボブ・ブーンだったんだけどね。彼が2度目のチャンスをくれたんだ。95年春、呼び出されて『君の野球が好きだ。私の下でプレーしてほしいから、そのままいい野球を続けていなさい』と。その言葉通り、5月に昇格。その時はマーク・グビザ(現エンゼルス解説者)ともチームメートだったんだよ。よし、と気合を入れて臨んだ2試合目の第2打席。三ゴロでベースを走っていたら『バンッ!』と大きな音がして、走れなくなった。脚の付け根の筋を裂傷。危うく骨から筋肉が離脱してしまうほどの重傷だった。けがをした時、痛みに苦しみながら思ったのが『せめて大リーグで良かった』だった」

 2か月のリハビリの後、復帰するもマイナーリーグ。翌年もロイヤルズでチャンスを待ったが機会は訪れることなく、97年にエクスポズに移ったが、野球に対する情熱が変化していた。

「96年6月に娘が生まれたんだけど、エクスポズに入団した際、何かが違う、もう野球をやりたいって思っていないって。家族も養わなきゃいけないし、もう野球はいいかもしれない。悩んだ末、キャンプの真ん中あたりでマイナーリーグのオフィスへ行って、ユニホームを返し『もういいです』って。オタワの3Aでスタメン二塁手は君のものなのにって反対されたけど、たとえ打率3割や4割を打っても呼ばれることなく、後から来たやつらに越されていく。精神的にきつい。どうして僕じゃないんだ? なぜこれが起こるんだ? どうして、どうして?って思うのが嫌になったんだ。きっと神様は別のプランを考えているはず。そう信じることにした」

 結果的に、ホセさんの大リーグでの記録は、19試合で終わった。トータル12年間で7球団。

「大好きな野球をやる時間をそれだけもらえたことは、幸運だったと思う」

 屈託なく笑うホセさんからは誇りが感じられた。

 ☆ホセ・モタ ドミニカ共和国出身。56歳。エンゼルスの実況アナウンサー兼解説者(スペイン語と英語)。1985年、ホワイトソックスにドラフト2位指名されプロ入り。91年にパドレスで二塁手としてメジャーデビュー。メジャーでの出場は19試合にとどまる。引退後、97年からFOX局でスペイン語の実況中継をするようになり、2002年からエンゼルスのブロードキャストメンバーに。ラテン系生まれの元選手の放送人は大リーグ唯一だ。