【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=エンゼルス広報のグレース・マクナミーさん(1)】今から26年前、あなたは何をしていただろうか。グレース・マクナミーさん(48)は、大学生でありながら突如ドジャース広報部のインターンとなった。1995年の春。野茂英雄さんの大リーグ移籍によって、人生の歯車が思わぬ方法に動きだした一人だ。

「大学では政治学と日本文学を専攻していて、もともとはロースクールに行って弁護士になるつもりだったんですよ」と笑いながら、忙しいエンゼルス広報の仕事の合間の30分を、私のZoomインタビューに充ててくれたグレースさん。

 両親は日本人で、総合商社マンだった父の勤務先ロサンゼルスで生まれ育ったが、9歳から14歳まで愛知県と神奈川県で過ごした完全バイリンガル。身長152センチと小柄ながら、ヒールを履いて力強く広い球場を闊歩している姿は頼もしく、特に大谷翔平選手の取材をする日本メディアにとっては欠かせない人物だ。この世界に入ったきっかけは、ドジャースが通訳を探していたことからだった。

「ドジャースに近しい知り合いから電話があって『ドジャースが日本人の投手を連れてくる。グレースは野球好きだし、ドジャース好きだし、通訳にならないか?』って。あの時はストライキの後の年でスプリングトレーニングが遅れたんですけど、大学の授業がまだあったし、当時インターネットもないので、長期間大学を離れるのは難しいのでって断ったんですね。そしたら広報でインターンを探しているから、それはどうだっていうことになって…」

 こうして(おそらく)大リーグ初の日本人広報(インターン)が誕生した。しかも大学生。社会人経験ゼロ。日本から米国も大リーグも初めての報道陣が大挙して押し寄せる中、野茂さんはセンセーショナルなほどに活躍し、社会現象とも言える大フィーバーを巻き起こした。

「全球団で(日本人は)私だけでした。ナ・リーグのオフィスの広報からよく電話がかかってきて。ドジャースが遠征先に行く時のメディア対応とか、ダラスのオールスターに出場した時のメディア対応なども…」

 今の3倍近くの数の日本メディアが、一人の選手を追いかけた時代だ。しかもファクス時代。仕事で使う日本語を見よう見まねで覚えながら対応したというが、今の新社会人で「拝啓」を使ったファクスの書き方をインターネット検索なしで書ける人が何人いるだろうか。

 聞いているだけでも大変そうで、何度も目を丸くしたが、グレースさんは「あはははは」とたくさん笑い「手探りみたいな感じでしたが、すごくいい上司とオーナーに恵まれました」と懐かしそうに目を細めた。

「私自身が大変だったというよりも、日本から来ていた大勢のメディアの皆さんの方が大変だったんじゃないかなって思います。初めての大リーグで、そのころはケータイもEメールもそんなに普及していなかったので。そういうメディアの方たちのお世話をする、より仕事がしやすい環境をつくり上げていくというのが球団と私の希望だったので、そこらへんが少し大変でした。すべての方たちの初めてだったので」

 インターネットのある今でさえ、遠征先のホテル決めやレンタカーの手配など、治安や距離感がつかめるまで大変であり、慣れた今でも面倒くさい。日本にたくさんの野茂さんニュースを届けてくれた先輩方の苦労を思い浮かべ、少し胸が熱くなった。

 95年といえば、大谷選手はまだ1歳のベイビー。ファクス、出したことないだろうな…。=続く=

 ☆グレース・マクナミー 48歳。エンゼルスの広報マネジャー。ロサンゼルス生まれの日系アメリカ人で、1995年から野茂が移籍する99年までドジャース広報部に在籍。その後ゲーム会社などの広報を経て、大谷のエンゼルス加入で2018年、約20年ぶりに野球界復帰。