【ニューヨーク発】ヤンキースの田中将大投手(25)は大激動のメジャー1年目を13勝5敗で終えた。4月から6月まではメジャーの強打者を手玉に取って白星を積み重ねたが、7月に右肘靱帯の部分断裂が判明。「トミー・ジョン手術(靱帯修復手術)」に踏み切るか否かという厳しい選択を迫られた。ギリギリの状況で、どう心は動いたのか。故障から復帰までの苦悩を本紙に明かした――。

 田中が右肘に異常を感じたのは4敗目を喫した7月8日(同9日)のインディアンス戦後だった。同9日(同10日)に故障者リスト入り。チームドクターらの診察を受け、右肘の靱帯が部分断裂していると診断された。すると田中は同11日(同12日)、球団の公式サイトを通じ日本語と英語で声明文を発表した。チームメートやファンに「申し訳ない」と謝罪すると同時に「この故障を『挑戦』と受け止め…」と記した。

 田中:そんなふうに言ってましたっけ(笑い)。まあ、肘のケガ自体が初めてなので、そういう感じの言葉になったと思いますけどね。

 淡々とした口調だが、投手の生命線ともいえる肘の故障は人生で初めてだった。楽天時代も何度か故障を経験している。右肩の張りや炎症、大胸筋や脇腹、太ももなどだ。ただ、肘は一度もない。それだけに今回は戸惑いを隠せなかった。

 田中:ケガした直後というのはチームに申し訳ないと。それはケガした期間ずっとありました。(それに)どうなるのか全然分からなかったので、診断とかちゃんと出るまでは不安でした。ケガした当初は「早く戻りたい」と焦っていたのはありましたね。

 当時、チームはエース左腕のC・C・サバシア(34)をはじめ故障者が続出。黒田博樹投手(39)も勝ち星が伸びず、田中が孤軍奮闘している印象だった。常勝が求められる名門チーム、しかも大黒柱になる存在として7年総額1億5500万ドル(約169億円)の超巨額契約で入団した経緯もある。これまで感じてきた責任が、すべて焦りへと変わっていた。

 できればメスは入れたくない。しかし、米メディアでは早期の手術をすすめる風潮も少なからずあった。手術して長期離脱という最悪のケースも覚悟した。

 田中:(安易に手術に踏み切れないから)その前にいろいろ診察を受けたわけですから。まあ、でもそういう診断が出たら…そうした(受け入れた)でしょうね。

 詳細は明かさなかったが、まい夫人(30)とも話し合った。

 田中:それは表に出すことじゃないですよ。それは妻ともそういう話もしますけど。そりゃ、いろいろ言ってくれましたけどね…。

 エースの称号にふさわしい活躍をしているがまだ25歳。まい夫人がそばにいなかったら、もっと追い込まれていたのかもしれない。しかし、これが田中の適応力、気持ちの切り替えの早さなのか。早々に開き直った。

 田中:(確かに)早く戻りたい、というのはあったが「自分の体をしっかり治して」というのがないと、余計迷惑かけるなというのがあったので、まずしっかり治そうと。自然とそういう思考になって、それで焦りはなくなりました。(キッカケは)いや、自然と。時間が…。

 考えを切り替えた段階で挑戦という気負いはなくなったのだろう。

 まだ100%安心はできない。しかし、野球人生の危機ともいえる故障を乗り越え、田中は75日ぶりにマウンドに上がって、勝利を手にした。先発陣の柱となる来季、背番号19は一段と大きくなってヤンキー・スタジアムのマウンドに君臨しているに違いない。