【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=コディ・ベリンジャー外野手(ドジャース)】2年前、某雑誌からコディ・ベリンジャーへの取材依頼を頂いた。

「キャリア3年目で大砲から真の強打者へ飛躍的な進化を遂げたその秘密を探ってください。締め切りは1か月後です」

 私の最初のリアクションは「げっ」である。

 決して彼が嫌いなのではない。フリーランスで働く身、お仕事もありがたい。話したことのないコディを知るいいきっかけにもなる。

 このコラム(メジャー通信)の取材方針は「なるべくゆるっと」。話題を決めずに入り、会話の流れで聞いていくことが多いため一般的に時間がかかるのと、選手のルーティンの邪魔はしたくないので、主に「クラブハウスで時間のありそうな選手」を狙っている。

 しかし、3度のワールドシリーズ優勝経験がある元大リーガーの父を持ち、デビューから新人王に輝くなど、常に「時の人」であるコディを狙うとなると話は違う。しかもこの時は前年の不調から改善したバッティングで、飛ぶ鳥を落とす勢いで快音を響かせており、注目度MAX。1か月の猶予もホームゲームしか取材しない私には実質2週間しかチャンスがなく、3連戦の初戦はチーム会議が長くて取材できないことが多いことや、日曜は土曜のナイター明けで朝の集合は遅く、選手らが来るころにはクラブハウスが閉まることなどを含めるとチャンスはさらに減る。ドジャースはただでさえ取材陣が多い。前のめり態勢で臨まねばならない。

 気合を入れてスタジアムへ行ったコディ取材初日。翌日から遠征に出てしまうから、とにかくルーティンだけでも把握したい…とクラブハウスに入ると、意外にもコディはソファで一人くつろいでいた。ガラ空き。

 考えてみれば、いわゆる「つるむタイプ」ではない。少なくともクラブハウスでカードやゲームアプリや卓球など、誰かと楽しんでいるところは見たことがない。そもそもいないことの方が多いのだが、いたとしてもその日のようにロッカーではなく、ソファに半寝体勢で気配を消すように考え事をしているか、音楽を聴いている。それはそれで話しかけにくいため、案外誰も声をかけないのだろうと推測したが、迷っていられない。

「取材を…」今からと言いかけて、顔を上げたコディにおじけづいて次に発した言葉を1か月間、後悔することになる。

「次のホームゲームでなんて…どうかしら?」

<大リーグ取材の掟・その1>つかまえた時がその時。選手らの日常は忙しく、状況は毎日変わる。けがや降格だってありうる。迷うべからず。

 取材を快諾してくれたコディだが、次のホームゲームはルーティンを変えたのか、取材時間にクラブハウスで見かけること皆無。しまった、逃げられたと思っているのはこちらだけで、恐らくコディに他意はない。会えないのではリマインドもできないので、仕方なく作戦を変え、広報へ。

「オッケー。全力を尽くすよ!」

 当時、新人広報だったホアンが快諾してくれ、ホッとひと息つくが、ここからも結構大変だった。

<大リーグ取材の掟・その2>心が折れてる暇はない。

「だめだ、今ケージ」「キー局の取材が入っている」「OBと話し始めちゃった」「20分後くらいに確認して」「あとで!」

 機会を狙うこと実に10日間、結局取材ができたのは締め切り当日だった。そのころには私に嫌気が差していたホアンに「忙しいから短くね!」と念を押されたが、マイペースなコディは時計が10分を回っても急がず対応してくれた。口数は少なく、今は野球しか頭になさそうだが、いいやつじゃん、と取材ができたことであっという間に好きになった。

 大リーグ取材あるある、である。

 そういえば、打撃改良の理由をデータを基にひもとく特集用のインタビューだったのに、第一声が「自分の心地良いスイングになるまで振り続けたこと」と、あの手この手と角度を変えて質問しても「データ? 全然分からない。そういうのはコーチたちに任せている。自分はフィーリング」と一点張りで返ってきたのが印象的で、担当者からも「データ革命が進む大リーグで一番活躍中の選手が、スーパー感覚派でびっくりした」と言われ苦笑しかできなかったが…。

 パンデミックで直接取材ができない今となっては、こんなやりとりさえも恋しい。

 ☆コディ・ベリンジャー 1995年7月13日生まれ。25歳。米国・アリゾナ州出身。左投げ左打ちの外野手、一塁手。2013年のMLBドラフト4巡目(全体124位)でドジャースに指名されプロ入り。17年4月にメジャーデビューすると同年132試合に出場し、打率2割6分7厘、39本塁打、97打点で新人王に輝く大活躍。18年25本塁打、19年には打率3割5厘、47本塁打、115打点でリーグMVPを受賞するなど看板打者へと成長した。父親はヤンキースで00年の世界一に貢献したクレイ・ベリンジャー。